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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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わたしの手帳② 無能感の実感 と 諦め

 

前回に続いて、障害者手帳シリーズです。
今回は、手帳に懐疑的だったわたしが、取ろうかな…と考えを改めたきっかけについて書いていきます。

 

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マイペース主義の慎重派。あまり表に出さない視点・思考をブログで放出中。
【最近の思い】自分を大切にしたい!
さて、
前回は就活時に「手帳問題」に直面したこと、手帳など関係なく自由に働きたいと思ったこと、
を綴っていました。
前回の記事を読んでいない方は、読んでみてくださいね。
前回の記事はこちら

わたしの手帳① 就職活動 - cotton の 目

先日、出身大学の先生から連絡がありました。 今年度のゼミ生の卒業論文インタビューを受けてくれないか、とのこと。 わたしの考えをある程度まとめるために、この場を使って「障害者手帳」について考えてみることにします。


 

今回、注意書きが大量になっています。
いつにも増して 読みにくいかと思いますが、ご了承ください。
注意書きは(※ ~~)←このようになっておりますので、読み飛ばしOKです。

自由に働きたいと願いながらやっていたことといえば、バイト探しです。
「正社員にこだわってるんじゃないの?」と思った方もいるかもしれませんが、とにかく 正社員で短時間勤務 をさせてくれるところはありませんでした。

「短時間勤務可能」と謳っている企業も、新卒で とは考えて居らず、
あくまでも結婚・妊娠、あるいは小学生以下の子どもがいる場合のみ、という条件付きです。

ちなみにわたしが希望していたのは、「医療・福祉に関わる企業」への就職で、分野職種は固まっていませんでした。
つまり、就労支援や訪問サービスといった ザ・福祉 の企業でもいいし、福祉用具を扱ったり通販サイトの運営でもいい、大義的に同じような 保険会社でもいいかな…といった具合です。

そこで、
やりたいことは 福祉 に関わること。
でも、やれることは限られている。
(てんかん持ちであることで、運転免許を持たず自制しています。摂食障害の影響で、体力には自信がありません。)
通常の勤務時間でもやれそうなことを体験してみよう、と思い、アルバイトを探しました。

正直アルバイト探しも難航し、何度も心が折れました。
バイト探しが難航した理由は、学生向けのバイトだと、かなり 体力仕事 や 立ち仕事 が多いから。
かといって事務仕事だと週4,5回勤務と設定されていて、大学に通いながらだと不可能でした。(※ 大学に通っていなくても体力的にきつい…)
さらには通勤。バスか徒歩で通えるところでないといけないので、選択肢が本当になかった。

やっと雇ってくれたのが、自動車整備工場。
笑えませんか?😂 一生ネタにできそうです。
運転できない人を雇ってくれるなんて…。面接に行ったのもダメもとだったのでびっくり。

 


 

無事バイトが決まったところで、受付事務として週2日勤務(1日6時間)から始まりました。
小規模でアットホームな企業。
仕事は、頭の中を忙しく回転させていないといけなくて、ついていくので必死でした。
もちろん体も疲れて、「これは…正社員なんて無理…。(週5日/1日8時間)」と認めざるを得ず。

短時間勤務を受入れてくれない風潮の中、8時間勤務不可となれば「=正社員は不可」。
条件付きで認めてくれるのは、妊娠/子育て。そして障害者枠。

大学4年生になっても 内定をもらった企業がなにひとつないという状況になって初めて、障害者手帳を取得する決心がついたのです。
ずっとアルバイトでいるよりはマシなんじゃないかと。
(※ マシというとアルバイトを下に見ているようになってしまいますが、お給料と立場の面でどうしてもアルバイトが弱い立場になっている、という現状に生きているので、こんな表現になってしまいます。決してアルバイトを軽視すべきでないし、これほどの格差を生み出す必要性がわたしにはわからない。)

手帳を持っていたって言わなければわからないし、就職活動でもあえて持ってます、なんて言わない。
けれど、求められれば 実は持ってます と。この方針で行こう となりました。

一応、取ると決まればトントン拍子にことは進みましたし、大学で相談していたキャリア指導の先生方も納得しました。
先生方は、障害者手帳も取りたくないけど短時間勤務を求めたい、というわたしの意見を理解しがたかったようなので。

自分的に納得しているかと問われれば 100% NOではありますが、現状で生きていくのには、新卒という波に乗るには、この手しかなかった。という感じです。

 


 

どうでしょうか。
わたしの手帳の考え方について、少しはシェアできたのかな…と思います。
今回でこのシリーズ完結、の予定でしたが、進展があったのでまた次回も続きです。

摂食障害/脳動静脈奇形 の記事をお待ち頂いている方、すみませんm(_ _)m
記事内容のリクエストがあれば、問合せフォームから受け付けますのでお気軽にお送りください。
全てに応えることはできないかも知れませんが、参考にさせて頂きます。

また、ブログ更新の頻度が確立してきて、しばらく月3回となりそうです。(毎月1日,11日,21日更新予定)
引き続きよろしくお願いします。

 

わたしの手帳① 就職活動

 

先日、出身大学の先生から連絡がありました。
今年度のゼミ生の卒業論文インタビューを受けてくれないか、とのこと。
わたしの考えをある程度まとめるために、この場を使って「障害者手帳」について考えてみることにします。


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インタビュー依頼を受けた内容は、障害者手帳を持つ意味」
思わず むむむ…と唸ってしまいましたが、本当に深いテーマ。

これを語るにはわたしの障害者手帳について整理する必要があるので、振り返りつつ このブログで紹介していければと思います。

 


 

まず、障害者手帳には3種類あります。障害の種類で分けられているので、以下のようになっています。

◆ 身体障害のある方 = 身体障害者手帳
◆ 知的障害のある方 = 療育手帳
◆ 精神障害のある方 = 精神障害者保健福祉手帳

名前に統一性がなく覚えづらい…🙄
内容や手帳によるサービスは 複雑なので割愛しますが、気になる方はこちらからどうぞ。↓

参考

わたしはこのブログで公表しているように、「脳動静脈奇形」摂食障害を経験していて、精神障害者保健福祉手帳を取得しています。
(※長いので以下「精神の手帳」などと記載していきます。🙇‍♀️)

こういうと、摂食障害による手帳取得をしたように見えませんか?
脳血管の病気 と 心の病気。精神の手帳なのだから、心の病気の方だと。
でも実は逆です。てんかんを理由に手帳を持っています。

脳動静脈奇形は治療により完治(寛解)しましたので、てんかんという病名に移行しています。
なぜてんかんが精神の手帳なのか よくわからないのですが、無理矢理手帳の種類を分けようとすると こうなってしまったようです。

こういう謎は他にもあって、「発達障害」も精神の方になることがあるみたいです。

持病についての記事はこちら

摂食障害(拒食症)とは【自己解釈】 - cotton の 目

わたしは摂食障害(拒食症)を経験しています。 一体どんなものなのか、自分なりの言葉で書いているので、参考程度に見て頂けると嬉しいです。

 

脳動静脈奇形とは【自己解釈】 - cotton の 目

わたしは、脳動静脈奇形がありました。あまり聞き慣れない病名です。 わたしなりの解釈を紹介しているので、参考程度に覗いてみてください。


 
話を戻しまして。
わたしが手帳取得を考えるきっかけを説明していきます。

取得したのは、大学3年生のとき。

障害者手帳」と検索してみるとわかると思うのですが、上位にヒットするサイトがほとんど 就活/転職サイト なのでびっくりしますよ。
きっとそれだけ就職と関わりが深いということなんですね。

わたしの場合も、生活には支障なく 手帳なんて縁がないと思っていたのに、就職活動を始めて一気に身近になりました。

インターンシップにも通って手応えがあった、第一志望の会社の面接に行った際、てんかんのことをオープンにして説明しました。
万が一のことがあれば 救急車を呼ぶなどの対処をしてもらわなくてはいけないので、伝えておいた方が安心だと思ったからです。

一方、摂食障害ついては一切触れていません。
仕事には全く関係がないことだと思ったし、言っても気を遣わせるだけのことだと。

ですが、ずる賢く「短時間勤務」をしたいと申し出ました。
てんかんを理由にして。
本当のところは 摂食障害の影響で体力的に厳しいと思ったからなので、嘘をついたことになります。

 


 
まぁその嘘がややこしかったわけです。

会社側の答えは「同期との公平性を考えると、短時間勤務は難しい」ということでした。
とても行きたい企業だったので悔しかった。
でも、納得せざるを得ない…と引き下がるつもりでした。

ですが、会社側はわたしのことを気に入ってくれていたみたいで、なんとか雇用する方法を提案してくれました。
それが、障害者手帳を取ること
    障害者の枠で働くこと

てんかんだったら「精神障害者保健福祉手帳」が取れるようだし、こちらとしても配慮できるので、どうですか?」と言われました。
今考えると、企業としてはもっともな提案。
いや、むしろすごく寄り添ってくれている。

だけど、当時はすごく嫌な気分になって、辛くて、泣きました。
わたし自身が福祉的考え方に染まってしまっていたのも関係があると思います。
福祉系大学に通っていたので、「その人ごとに、柔軟に、個別の対応をする」というような世界を求めすぎました。

わたしは生活に困ってもいないし、サービスを受けたいわけでもない。
だから手帳なんていらない。
ただ個別に勤務体系を変えて欲しい。と願ったんです。

わがままだと思いましたか?
わがままって言葉は嫌いですが、でも、わがままを言える世界って幸せじゃないですか。
わたしは「みんな同一」みたいな考え方は苦しいと思っているし、不可能だと思う。
だから、せめて自分だけでも楽に生きられる道を探しているんだけど、現実を突きつけられた出来事が、この就職活動時です。

 


 

ここまで綴ってきましたが、まだ手帳取得に行き着かないですね😅
もうしばらくかかりそうなので、次回もこの続きを書いていこうと思います。
関心があれば、ぜひぜひコメントしてくださいね。

 

次回はこちら

わたしの手帳② 無能感の実感 と 諦め - cotton の 目

前回に続いて、障害者手帳シリーズです。 今回は、手帳に批判的だったわたしが、取ろうかな…と考えを改めたきっかけについて書いていきます。

「泣く」とはどういうことなのか

 

突然ですが、最近を流したことはありますか?
わたしはこの間、久しぶりに泣きました。
そのことで思い出したことがあったので、書き留めておこうと思います。

 

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【最近の思い】働きたくない…

わたしは泣き虫というわけではありませんが、急に喉が熱くなって、どうしようもなく痛く苦しくなることが、昔はよくありました。

必死に我慢すればそれで済むのですが、喉の熱さ・痛み・苦しみ の波が押し寄せると、となって流れていきます。

この現象をひとに話したことがないので、皆この経過で泣くのかわかりませんが、少なくともわたしはそのように捉えています。

 


 

先日、ふとしたときにこの喉の痛みが襲ってきました。

人に見られるような場所ではなかったし、
「これは涙のスイッチ。涙は我慢しない方がすっきりする。」
と学習していたので、我慢せず為すがままに涙を流しました。

思った通り、その後は苦しさを引きずることなく過ごすことができました。

 


 

ただ、わたしは泣くときの原因を知りません。
痛みは涙のスイッチだけど、痛みを誘発するものは何なのか。

喉の痛みに耐えているときも、涙を流している間も、わたしの頭の中では
「何で?何が嫌だったんだろう?いくつか引っかかったものはあったかもしれないけど、泣くほどなの?」
と人ごとのようにぐるぐると考え、答えはわからないのです。

大人になると、さすがに人前で泣くことはほとんどありません。
しかし、子どもの頃や 一時期精神的に不安定だった頃はよく泣きました。
すると「どうしたの?」と聞かれます。

皆さんも聞かれませんでしたか?
そういうとき何と言ったらいいんでしょう?

言わないけれど、「わたしだってわからないよ!」と当たりたくなりました。
いや、もしかすると普通は明確に嫌なことがあって、それを理由に泣くんでしょうか。

「泣く」ということがどういうことなのか、本当に未だにわからず、喉の痛みが襲ってこないことを願うばかりです。

最近の仕事の困りごと

 

最近、バイト先で困っていることがあります。
よくある悩み。ゆるゆる と グチる回です。笑

 

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【最近の思い】働きたくない…

以前の記事でも書いたように、わたしは 常に笑顔になっちゃう性質 があります。
それと同じようなパターンなのですが…。

最近、バイト先で頼まれた仕事を「今忙しいので無理です…」とは断れずに困っています。

 


 
わたしは、職場では唯一の 事務(雑用)専門 として働いています。
こんな風に言うと格好良さそうなのですが、単に接客が向いていなくて、できることだけをやっているという感じです。

他の社員さんは、もちろん事務もやりつつ接客メインで働いているので、わたしのことは 暇な人 と見えているよう。(T-T)

そのため、様々な仕事をわたしに回してくるのです。
主には直属の上司が、毎週毎週「これやってくれる?」「お願いあるんだけど、いい?」と言ってきます。

もちろん仕事なので、自分がやるべきことは全うしようと思うのですが、全部が中途半端になってしまうので、仕事に納得できないまま帰宅することも多くなりました。

仕事量を相談しなければ…と思ってはいるのですが、「お願い」と言われると、例の笑顔とセットで、「わかりました!」と口から出てしまう…。

 


 
ここで、今の状況をより詳細に説明すると、わたしは週2回のみ出勤しています。
在宅ワークなどもないので、純粋に週2。

上司たちは週5~6勤務で、その1週間の間に生じた いわゆる「雑用」を、わたしが週2回かけて処理する…という現状。

そして、わたしが少々デザイン関係が好きなこともあって、チラシ作成なども任されています。
作り直したり、新たに作りたい チラシやPOPがかなりあるのに、雑用をこなすだけで精一杯なのが辛い。

でも 上司らは最低限のデザイン性で満足されるので、わたしがどんなにこだわってチラシを作成しても、きっと評価は変わらないんだろうなぁ とも思います。

きっと「やりがい」ってこのことなんだろうな、と思います。
自分が納得しながら仕事をすること。満足すること。

少ないとはいえ、働いてお金をもらえるのは幸せです。
だけど、もっとじっくりデザインに時間をかけられたらなぁ。。。。。

てんかんでも映画が観たい

 

てんかんには、光によって誘発されるものがあるようです。
わたしは、映画館で映画視聴後に気分が悪くなったことがあるので、ここ何年かは避けるようにしています。

 

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【最近の思い】コミュニケーションって難しい。

光に注意するべきなどと、医師から言われている訳ではありません。
ただ、怖い思いをしたくないので 原因と疑われるものには積極的に近づこうとは思わないのです。

「怖い」についてはこちらから

脳動静脈奇形とは【自己解釈】 - cotton の 目

わたしは、脳動静脈奇形がありました。あまり聞き慣れない病名です。 わたしなりの解釈を紹介しているので、参考程度に覗いてみてください。



個人的には「イヤな感じ」の原因として疑っているのは、映画館内の 光のコントラスト です。

映画館は真っ暗な空間の中で、強力な光を使用しています。
その明るさの差が苦手な気がしています。

それに加え、音声は例外なく 大音量 
静かな内容の映画であっても、やはりテレビとは比べものにならない大きさですよね。
音声については、てんかんとは無関係の個人的性質だとは思われます。
わたしは近距離の打ち上げ花火や雷は嫌いだし、バイトの悩みもインカムだったりと、音に敏感なのでは…と思うところがあります。

それらの相乗効果というのか、不安感が増幅するように感じています。

参考

【てんかんinfo】日常生活のアドバイス:テレビ・ゲームについて

…まれではありますが、しま模様、チラチラする光、赤色の刺激などで発作が誘発される「光過敏性てんかん」があります。これまでに視覚刺激やゲームで発作を起こしたことがあれば、光刺激の強いテレビやゲームは望ましくありません。…


 

一方で、音や光は全く関係なく、一度てんかん発作を起こしたことのある場面が怖いだけ、ということも考えられます。
原因は突き止められませんが、いずれにせよ「怖い」という感覚には間違いないので、気になる映画があるときは テレビでの放送やDVD化を待っています。

しかし、流行の映画をすぐに観られないのは結構悲しいです。
照明を点けたままで、かつ音量控えめで放映する映画館があれば、ぜひ観に行きたいと思っています。

 


 

今回は映画を中心に書いてみましたが、「光に対しての怖さ」は他にもたくさんあります。

学校でのプロジェクターを使用した授業では、長時間注視しないようにしていました。
また、アーティストのライブなんかも行ったことがありません。憧れてはいるんだけど…。
ピカピカしない落ち着いたライブ、盛り上がりに欠けるんでしょうか。
需要はあると思うんだけどなぁ。

わたしはコスメが大好きです。

 

コスメ?摂食障害と関係ある?
と思われた方もいるかもしれませんね。
でも、わたしにとってはかなり深い関係があります。気になった方はぜひ。

 

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【最近の疑問】みんな横文字わかるの?

まず、タイトルの通り、わたしは コスメ が大好きです。
見ているとウキウキするので、暇さえあればドラッグストアを覗いたり、スマホで検索しまくったりしています。

こんな風に楽しめるようになるのと反比例するように、摂食障害のことで苦しむ時間が減っていきました。

関係あると思いませんか?

もちろん、元々関連付くとは思ってもみませんでしたが、振り返ると あれ、と気付いたんです。


f:id:cotton-me:20210520114236j:plain摂食障害に最も振り回されていた時期は、思考の最優先がカロリーでした。
食べるのにかなりの時間を要したこともあって、必然的に1日中食事のことを考えることになり、他の何かを楽しむこともできませんでした。


f:id:cotton-me:20210520114338j:plainそれから時間が経過し、会食・外食の経験に慣れていったり、断り方を身につけることで、食事が思考を占領しなくても済むようになりました。
いわゆる「余裕」が持てるようになった。

 


 

それまでは、メイクなんて アイブロウ+パウダー という最低限しかしなかった (考えられずできなかった) のが、動画を見て勉強するようになりました。

f:id:cotton-me:20210520114438j:plainすると どんどんハマってしまい、コスメをコツコツ買い揃えました。
楽しくて楽しくて、思考の割合が着々とコスメへとシフトしていきました。

実ははじめは、このことに罪悪感を抱いていました。
1日中コスメ検索に費やすことも珍しくなく、「また今日もなんにもしてないよ…」と。

でも、確実に楽しかった。
そしてずいぶんメイクが上手くなった。(とおもってる🙄)
それによってちょっと自分を好きになれた気がします。
言い換えれば、メイクのおかげで自己肯定感が高まったのです。
(メイクが上手くいかないと、テンションだだ下がりですが。)

 


 
ここに摂食障害が繋がってきます。
摂食障害になる人は、自己肯定感が低い、とよく言われています。
本当はどうかわからないし、だったらどう上げればいいの!とムカついて嫌いな言葉になりかけていましたが、わたしについては コスメ・メイク が自己肯定感を引き上げてくれています。

かといって、一切体型が気にならなくなったかと言えば そんなはずはなく、太ったなぁと思ったり、細い人に憧れたりしています。

ただ相変わらず見た目を重視してしまいながらも、細いことは二の次。
まゆげをきれいに描いたり、しっかりまつげを上げることの方が今は大切です。👀笑

体型を理想へと近づけようとするよりも、メイクで自分を表現することの方がよっぽどラクで楽しいです。

そしてなにより、メイクをするときは 等身大の自分 と向き合います。
この色が似合うな、とか、こういうメイクのほうが好きだな、とか、自分の見た目と好みに向き合って自分を大切にできています。
だからコスメにお金をかけることは悪いことじゃない。と言い訳をしながら、今日もコスメを検索しています。

わたしは何のために生きているのか?

 

「何のために生きているのか。」

一度は聞いたことがあるフレーズではないでしょうか?
あるいは、自身の心に引っかかってる方もいるかもしれません。
わたしの見解をまとめてみたので、見てみてください。

 

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【最近の疑問】みんな横文字の意味わかるの?

結論から言うと、わたしとしては
生きるのに目的なんてあるの?生まれちゃったんだもん!
という感じ。

「何のために生きているのか」という疑問を紐解くと、結構不思議な疑問だなぁと思った次第です。

 


 

まず、この疑問が生まれるのはどういうときか考えてみました。

「何のために」が表しているのは、自分は何のためにもなっていないのではないか、という不安だと解釈しました。
自分が思い描いた結果を出せなかったり、人に迷惑をかけていると感じたりするときに抱くと思います。
無力感罪悪感といってもいいかもしれないですね。

でも、有力善良であることが生きる目的なのかというと、わたしはそうは思いません。

そもそも本当に悪い人であれば罪悪感は感じないでしょうし、その時点でもうあなたは善良です。
それに 有力者はしばしば権力を乱用し、悪人になり得ます。
無力であることは自然で、悪いことではありません。

これをまとめると、何のためにもならないのが自然
不安を感じこの疑問に悩む必要はありません。
もちろん感じ方を否定するわけではありませんが。

 


 

ただし、社会では無力であることを受入れられにくいというのは事実です。
学校では成績を上げることを求められ、会社等でも 会社・社会 に貢献することを求められています。

でも、わたしは成績を上げて誰が喜ぶのか、誰のための貢献なのか、そしてそれは個人の人生の目的にはならないのではないかと考えています。

難しい表現を使うと、わたしたちは資本主義社会の部品として使われているのだということだと思います。
資本主義はあくまでも社会全体としてのシステムであり、個人の人生にまで反映して責任を負う必要はないのではないのでしょうか。

ひとりひとり、好きなように生きていいと思う。

 


 

次に、「生きている」という部分に焦点を当ててみます。
生きている、とはありますが、自発的に「生きている」自覚はありますか?

少なくともわたしは、受動的に産み落とされ存在している。
生まれたあとは、人生において生きるか死ぬかの選択肢がありますが、別に選択して生きている訳ではありません。
ただ時間が過ぎてきただけで、死にたいと思ったときだけ「死ぬ」の選択肢がよぎります。

「生きる」の選択肢を積極的に選ぶのはいつなんでしょう?
事故や災害に巻き込まれて、生きようと必死に這い上がる、そんなときでしょうか。

幸いにもわたしはそのような場面を経験したことがないので、「死ぬ」を先延ばしにしていただけ。
結果わたしは今生きている。これが一番近いような気がします。

 


 

ということで、考えれば考えるほどこんなこと考えなくていいよな、と わたし自身の認識が深まりました。
とはいっても、この疑問を考えたり悩むことは無意味ではないと思います。

今まで綴ってきたものはわたし個人の考えですから、皆さんも自分の考えと比較してみると面白いかもしれません。

わたしが考えた結果思うのは、社会に動かされたくはない、ということです。
わたしはわたしの気持ちに正直に生きたい。
生きる選択肢を積極的に選ぼうとは思わないけど、時間があるのであれば、その時間は穏やかに過ごしたい。

これくらい気楽に考えてもいいんじゃないでしょうか。