病気と共存することについて、難しさがあるよなぁと改めて考えることがありました。
わたしにとって「てんかん」を発症したのはずいぶん前のことなので、振り返ってみます。
この前、父から
「もっと話したいけど話せない、自分の感情がわからない、相手がどう思っているか考えてしまう」と話しかけられました。
今まで書いてはいませんでしたが、わたしと父との関係は良いとは言えません。
訳あって父はここ最近ずっと家にいるのですが、話という話をしたことがないため、話しかけられたこと自体に 動揺 というか、言葉が悪いですが 不快感さえ覚えてしまいました。
とはいえ、こんな話を振ってきたのは初めてだったし、同じような気持ちを抱いたことがあるので、無視もできませんでした。
父が今ずっと家にいるのは、大ケガをしてしばらく働けなくなったから。
一方わたしは中学生のときに、てんかんが発覚したことにより勉強と部活に追われる中、それどころじゃなくなったという状況を経験しており、今の父の状況と重なる気がしました。
わたしは、脳動静脈奇形がありました。あまり聞き慣れない病名です。 わたしなりの解釈を紹介しているので、参考程度に覗いてみてください。
てんかん発覚当時のわたしは、部活を制限せざるを得なくなり(▶詳細)、どうしたらよいかわからなくなっていました。
たぶん今の父もそのような気持ちなんだと思います。
余談ですが、父は仕事以外やりたいこともわからず、趣味も一切ないという人。
だからわたしも父に興味を持てないし、できるだけ関わりたくない…
そんな人からもっと話したいと言われるのは複雑でした。
ただ、同じような苦難を経験する家族として見守ることはしたいと思います。
前置きはこのくらいにして、病気(障害やケガ)との共存に慣れるまでの葛藤、つまりわたしのてんかんとの付き合い方の苦労を思い出して綴ってみます。
わたしの場合は病気の発覚時は意識を失っていたので、ぼんやりとしかわかりません。
周りは大騒ぎ・大心配しているのに、自分はよくわからずちょっと頭が痛いだけ。
だから最初は病気を受容できるはずもありませんでした。
薬で発作をコントロールできるようになってくれば、意識を失うギリギリを彷徨うようになります。
そうなって初めて、おかしいと自覚できるようになりました。
この瞬間が一番怖い。
でも、この頃には周りは発作に若干慣れます。
しかも症状が軽くなっているように見えるので、周囲の心配度は低くなる。
自分の恐怖はMAXなのに。
このギャップが、てんかんの特徴じゃないかなぁ。
わたしにはわたしの症状しかわからないので言い切れないけど。
ここからが病気を受容するスタートだと思います。
発作を繰り返し経験することで、どのように対処できるか考えたり、薬を調整して負担を軽減する。
で、慣れていく。
病気の症状以外にも、人との付き合い方を一からやり直す感じになりました。
発作が起きて次に登校したとき、みんなが関わり方に困惑していることが、空気でわかります。
こっちもどう接したらいいのかわかんなくなる。
症状も辛いけど、それ以上にここの対処が精神的にきつかったかもしれない。
心配させてごめんね、気を遣わせて申し訳ないって常に思っていた気がします。
病気は受け止めていたつもりだけど、前と同じように過ごせないことを辛く感じたり、前の自分が本当の自分だと思っているのなら今の自分って何なんだろう、と悩んだり。
そんな風に思っている間は、受容の中間地点なのかもしれない。
そこから、「病気があるのが自分だ」「病気含めて自分」みたいな感覚になるのが受容のゴール…?
わかんないけど。
今でもそれを行ったり来たりしています。
そして、「病気はアイデンティティではない」というような主張を聞くと、じゃあどうしたらいいんだ!とかき乱される。
…何が言いたいのかわからなくなってきたけど、とりあえず病気と付き合うのは難しいこと。