かつての夢について、前回の続きを書いていきます。
今回は【摂食障害】前後の夢の動向です。このシリーズ完結します。
前回、かつて抱いた夢が「作業療法士」(リハビリの先生)だということを書きました。
わたしがかつて抱いていた夢と、その夢の動向について書いてみようと思います。 持病の影響で夢が左右されているので、健康状態とともに時系列で紹介します。
とはいえ脅迫的になっていったこの夢が、どうなっていったのか。
今回はわたしが【摂食障害】に悩む前後で、夢に対する思いの変遷を綴っていきます。
前回までの話は、主に中学卒業までの話です。
高校に入学してからも、夢は引き続き「作業療法士」でした。
進学校に進学したこともあって 大学を意識するタイミングは早く、「作業療法士」を目指せる国公立大学に行くため、猛勉強。
今考えると、「作業療法士」がゴールならば そこまで全体の学力向上にこだわらなくても良かったはずなんですよね。
偏差値が低めの大学でもそれなりに希望の学部はあるのに、表に出さない負けず嫌い・完璧主義に火がついて、自分を追い込みました。
高校受験もかなりのストレスでしたが、よりレベルの高い高校での勉強もストレスでした。
それが影響したかどうかは 今となってはわかりませんが、高校2年のときに「摂食障害(拒食症)」と診断されるに至ります。
食べたくない、食べられない
勉強はしなくちゃ、授業に追いつかなきゃ
そんな葛藤と焦りの中で、頑張ってもなにひとつ叶わず 転落していく自分の人生に絶望していた、という感じです。
体重は落ち、痩せ は手に入った、とはいえるかもしれません。
ただし、自分が望んだ 痩せ とは似ても似つかない地獄でした。
どこが地獄だったのかというと、
- 食べられないことは楽しくないこと。
- 飢餓状態ともいえる状態で、感情や思考のコントロールができないこと。
など。
この辛さを言語化するのは難しくて、伝わらないとは思うのですが、とにかく絶対に戻りたくない時代です。
そんな状態に、進路を考える時期があたってきます。
今を生きるだけでも辛くて苦しくて、やっとの事で存在しているのに、将来を考えるなんて無理でした。
でも、当時は信じ切っていた「作業療法士」に思考は一直線で、まぁそれ以外の選択肢を考える体力はなかったんです。
ただ、授業もまともに受けられない状態になれば、夢なんて言っている場合じゃない、って事も実感としてわかっていきました。
進級も危うかったのです。
もう無理だな、と悟って、動かない脳で考えて次に思いついたのは、「就職」でした。
いやいやいやいや!って突っ込みたくなりますね、いまなら。😅
体力なくて就職できるかよ。
でもね、本気だった。入院や通院をしていた身としては、家族にお金を使わせてしまっている罪悪感がものすごく大きくて、申し訳なくて。
大学進学ではなく就職という道なら、これ以上お金もかけず、むしろお金を稼ぐんだ。
母に伝えたら、当然こんこんと説明されました。
無理だよね、大学に進学して 4年間休むって考えたら。って。
そのとき印象に残っている言葉は「ひとつひとつしかできないよ」という趣旨の言葉。
病気も治したい、高校卒業もしたい、就職もしたい。
当時の自分は、高い目標がいくつもあって、一気に乗り越えようと必死でした。
でも、母の言葉から、あぁそっか。って納得したんです。
一気に完璧目指さなくて良いんだ。わたしってちっちゃい人間なんだな。って。
諦めとか、絶望に聞こえるかもしれないけど、わたしにとっては光でした。
なぜか「良い子」と評価され続けてしまったわたしには、いつも完璧でいなくてはいけないという恐怖が常にありました。
でも、わたしだって普通の人間なんだ。弱い人間なんだ。と肩の力が抜けたのです。
それからは、徐々に「弱い人間」として生きることを意識するようになりました。
等身大以上に頑張るのはやめる、という感じでしょうか。
無理に受験勉強をしなくても入れる偏差値の低い私大に入学して、卒業単位ギリギリくらいを目指して、余裕のある大学生活を送りました。
そこで、生きていくだけで精一杯。わたしには福祉職はできないなぁと諦めました。
固執していた「作業療法」を手放せた。
正直、挫折感はあります。福祉職がうらやましいです。
だけど、わたしがわたしである以上できないんだよな。と納得もしています。
夢はなくなったわけですが、今は幸せです。
お金もないし、これからどうしたら良いのかもわからないけど、心が安定していることが一番の安心です。
かつての夢の話はこれで終結。
夢って称賛されるけど、追い込まれる事もありますよね。
わたしは、夢がないのもそれは別に良いと思う。諦めるのも良いと思う。
キラキラした現実ってそうそうないと思っていて、わたしはこれからも等身大で生きていきたいと思います。