会話って連想ゲームみたい、とふと思いました。
会話って何気なくしているけど、すごく頭を使う、高度なことだと思うんです。
わたしは結構会話が苦手な方で、よく話を振ってくれる人などはすごいなーと感心します。
連想ゲームみたい、と思うのは、相手の知識範囲をくみ取る必要があるから。
相手が全くわからない話をしても会話にならないなので、話そうとする話題についてどのくらい知っているかなどを、まず探ったり察知する必要があります。
こういう言葉遣いをするってことはあんまり知らないな、とか、かなり知識多いかも、などを相手の言葉・言い回しなどで把握します。
その上でどの程度詳しく話すか、などを自分の中で決めて話す。
相手の反応を見て言葉を返す、という行為ですよね。
それを瞬時にやっているわけです。
改めて考えるとすごいなと思ったんですよね。
例えば、最近こういう出来事があったよ、と話したいことがあるとします。
出来事にはきっかけがあったり、その前の出来事と繋がっていたりします。
それも直線的なことではなく、いろんな要素の複合的なものだったり。
それをどこから説明するか、相手がどれだけ理解できるかを判断する必要がありますよね。
わたしの場合、それらをできるだけきれいに、余計なことは省いてコンパクトに話をしようとする癖がある気がします。
わかりやすく、という意識もありますが、あまり自分のことを開示したくないという面もあると思います。
でも省きすぎて、自分が体験した話ではないような気がしてしまうことが多々あります。
出来事のいきさつを説明するのに、新たな自己開示があまりないように話を組み立ててしまって、ほんとはそういうことじゃないんだけど話としてはおかしくないからそういうことにしておこう、みたいな。
きれいな連想ゲームができた感覚。でも事実とは異なっていることもあるのであまりいい気分ではありません。言いたいこと言えてない気分。
こんな感覚、共感してもらえる人はいるのかな…
引っかかりのないすっきりした話になるので面白くもないし、会話も深まらない。
質問が返ってきても説明していないことが多いので、質問に対してもどこから答えればいいかわからなくなる。
で、会話なんて面白くない、となる。笑
じゃあ会話が上手な人の頭ってどうなってるんでしょうね。
たぶんセンスなんだろうな…とは思うんですけど。
わたしが特に困っているのは、病気の話。
ひとりひとり違う背景があって、できるだけ省かないで話した方がありのままを伝えられると思います。
ただ、相手にどの程度伝えるべきかは場面によって違うし、あまり聞きたくない、という相手の場合もあります。
面倒くさいと思われるのも嫌なので、いつも以上に引っかかりなく話そうという意識が働いて、なにひとつ伝わらない会話になることも。笑
そうなると自分のストレス発散にはならなくて、難しいんですよね。
むしろ虚しくなってしまう。
「連想ゲーム」になりすぎて結局誰の話?みたいな、自分で面倒くさい状態になってしまったりして。
だから、文字にすることが 自分に合ってると感じます。
文字ならどれだけ時間をかけてもいいし、反芻して本当に自分のことを表現できているか確認できます。
反応が返って来にくいのが難点ですが、確実に自分の中で整理できている感覚はあります。
時間もかかるし、会話でできたらいいのになとは思うけど、自分にはこれしかできなくて。
会話得意な人を尊敬しながらも、無理に苦手を克服しようとはしないかなという感じです。
苦手ではあるけど、一応その場はやり過ごせる!それでいっか。