cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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「摂食障害」に頼っちゃう

 

摂食障害とはなんぞや
説明はいつになっても慣れません。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

もうほとんど摂食障害(拒食症)を自分から説明する機会はなくなってきましたが、どうしても言わなければならない場面もあります。▶わたしの現状

今回取り上げるのは、
ある程度親しい仲で 便宜上、摂食障害について伝えておいた方が良いと思われる場面での説明の仕方です。

例えば、愚痴を言える間柄で、
摂食障害にも関わる愚痴を言いたい、素直に本音を言いたい、という場合。

当事者同士のような深い話はするつもりはないけれど、概要だけは伝えなければ愚痴が伝わらない。

そんなとき、どう言ったら良いのか どれが正しいのか、未だにわかりません。

 


 

「普通に食べられない病気」

ではあると思うけれど、でも今は大抵のものが食べられる となったときに、
じゃあ治ったんだね、何も問題はないね、と捉えられます。

一部間違いではないものの、未だ何かしらの困難があるから伝えたいわけで、なかなか伝えるのが難しいです。

 



摂食障害」という言葉に抱くイメージが、人それぞれすごく差があるようにも思います。

なんとなく知識があれば、大変そう、と思う人もいれば、
痩せる病気、何が問題なの?というくらいの人もいる、
そもそも聞いたこともない、という人もいる。

だからどこからどこまで説明すれば良いのか、毎回悩むことに。

 


 

わたしの場合は、食べることに困難がある状況では、
会食が怖い、特定のものしか食べられない、というような説明になると思います。

ただ、あまりその部分だけを伝えたいということはなくて、
自分の自己肯定感の低さや歪んだ考え方で落ち込む、というような自分の性質を言いたいことが多いです。▶わたし自身の解釈

とはいっても、
認知の歪みが…自己肯定感が…というのは気が引ける、
というか伝わるかどうかもわからない、説明を求められてもきちんと説明できる自信がない。

だから難しくない言葉で表現したいのですが。

 


 

結局は、
摂食障害という食べられない病気になって、回復してはいるけどまだ困難があって、生きづらくて…
という説明になってしまっています。

食の問題はそこまで考えずに済むようになった今、
摂食障害」という単語は使わなくても良いのかも。

それでも使ってしまうのは、アイデンティティになってしまっている、ということかもしれません。

自分を当てはめすぎて、自分にぴったりな枠を手放したくないのかもしれない。
辛い思いをしてきたんだ、と心のどこかでアピールしたいのかもしれない。

誤解も生みやすい、偏見も起こりやすい言葉。
使わずに自分の言葉で、自分のことを説明できるようになったら良いんですが。
まだまだ先になりそうです。