わたしは摂食障害(拒食症)を経験しています。
一体どんなものなのか、自分なりの言葉で書いているので、参考程度に見て頂けると嬉しいです。
摂食障害とは、「食べることに何らかの困難があること」 です。
精神疾患の一種として、精神科・心療内科・小児科 などで治療が行われています。
摂食障害にも種類があるので、DSM-5という診断基準を元に 噛み砕いた表現でまとめてみました。
先程示したのは、医学的定義です。
真っ先に書いておいてなんですが、わたしはこの定義に違和感を持っています。間違っているとは言わないのですが、医師はこの定義にある症状をなくすことを目指しているように思います。
しかし、症状だけなくすことなんて不可能。症状がなくなるには根本からかえていく必要があると思っています。もちろん簡単ではありませんが。
摂食障害を経験した人は、根本を考え続けたことも多いかもしれません。
わたしもそのひとり。これから 原因 と 要因 という言葉を使って、わたしの摂食障害の根本の捉え方を説明していきます。
まず 原因 と 要因 を説明しておきます。あくまでもわたしの定義です。
原因 は「結果」の対にあたり、直接的に結果を引き起こしたものだと捉えます。
一方、要因 は、結果を構成しているものと捉えます。つまり複数の要素があります。
原因 は摂食障害の話をすると必ずと言っていいほどつきまといますが、わたしは 原因 なんてないと思っています。
原因 ではなく 要因 。「無数の要因から食べることへ症状が現れたもの」が摂食障害。
あえて無数の、としたのは、特定できるものではないと思うからです。
だから家族のせいじゃないし、本人のせいでもない。愛情のせいでもない。
それら全部が絡み合って、全部の整合性・バランスをとろうとすると何か過不足が生じて生きづらくなっているんだと思います。
何か= 原因 であり、原因 は 何か であって、それ以上でも以下でもない。
無理矢理 明確な言葉にしたいのなら「今まで自分と関わりのあった ひと・もの・こと 全て」じゃないかな。わたしはそう思っています。
この解釈は、ただわたしが納得している独自の考えでしかありません。だけどわたしはこれに行き着いてからずいぶん楽になりました。
原因探し、疲れるもん。犯人捜しみたいで疲弊する。
何か は追求しても意味がないから、それなら整合性・バランスを ほどほどでOKにすることにしました。
きっちりしたいときはそうすればいいし、できないときもそれでいい。
ここまで説明してきたことを考えると、何か は誰にでも生じる可能性があると思いませんか?
生じた 何か を解消する術を持っていたり、引きこもりなど他の症状に現れたりする以外に 摂食障害という結果もあるのです。だから全く特別なことではないと思います。
まとめてしまうと、摂食障害とは、年齢や性別などに関わらず 誰もが患う可能性があり、その可能性も決して低いものではない ということ。ほんとうに。
ただそれだけのような気がします。
どうですか?少し伝わったでしょうか?
なんだか小難しい表現になってしまったし、説明の下手さにがっくりきています…
それに、こんな考え方で絶対に良くなる、とは言いません。というより言えません。
「わたしの摂食障害」に限って、しかも「わたしの今」に限っていい状態なのかもしれないので。
わたしは 「摂食障害」を経験してはいるものの、完全には理解出来ていません。(完全な理解は誰もできないと思いますが。)
「わたしの摂食障害」も、訳がわからないことばかりです。
だから苦しく辛い。きっと周囲の家族や友人も苦しい。
そんな辛さを少しでも和らげられるのは、思考だと感じています。
このブログで楽になれるかはわかりませんが、考える材料にしてください。
ただし、信じ込まないでください。腑に落ちたものだけ吸収すればOKです。
わたしの場合も、納得したものだけが身になっている気がします。
これからも摂食障害に関する記事を書いていきますが、多くのブログに書かれている「体重」や「ひどかった食事」については控えるつもりです。
また、わたしの別の持病「脳動静脈奇形」についても書いていますが、きっと摂食障害にも通じるものがあるかと思います。わたしはひとりなので。
わたしが思っていたこと・思っていることに関心があれば、ぜひ引き続きよろしくお願いします。