わたしの人生を振り返ると、「病気だから」を免罪符に思っていたように感じます。
欠かせない「言い訳」だったというか。今もそうだけど…
「病気だから」という認識って、こびりついていて引き離せないんですよね。
今回は、そんな風に思い返したきっかけをお話ししたいと思います。
最近、ある懐かしい人と連絡を取るようになりました。
ある人とは、わたしが中学生のときの恩師です。
懐かしい話をしていると、当時の部活の話になり…
当時の感情だったり光景が浮かんできて、「あぁ、わたしはズルい」って思ったんです。
何がズルいかを言う前に、当時の背景から説明しますね。
わたしが所属していた部活動は、中学生にありがちなギスギスした運動部です。笑
特に理由なく仲間はずれにされる人が出てしまったり、表面上は仲良しなのにみんな顔色をうかがっているというような、超面倒くさい感じ。
どうしようもないなって思うんですが、当事者としてあの場にいたときは、とにかく変に目を付けられないように息を潜めていたように思います。
そんな中、突如わたしの病気が発覚することになります。
わたしは、脳動静脈奇形がありました。あまり聞き慣れない病名です。 わたしなりの解釈を紹介しているので、参考程度に覗いてみてください。
病気の発覚後、部活動を制限されました。
主治医は、「気をつけていてもいなくても、発作は起きるときは起きる!」というスタンスだったので、制限していたのは学校側です。
何かあったら責任が取れないからという理由だったかと。
理由としては薄いものですが、実はこの制限にわたしは救われていました。
つまり、「病気だから」部活と離れられる、ということです。
部活が嫌なら辞める選択肢もあるけど、そんな勇気もなかったわたしにとっては棚からぼた餅状態でした。
完全に離れたわけではなくて「一時見学のみ」という感じでしたが、内部のギスギス感が心底苦痛だったことから思えば、一歩引いたことですごく楽になりました。
別に元気なので、部活の制限に対して抗議することもできたのに、甘えたんです。
ズルいですよね。
あの感情が鮮明に思い出されて、苦しくなりました。
どういう感情かというと、
もちろん「楽になった」「ほっとした」という思いもありつつ、
甘えたことに「みんな気付かないでくれ」という願い。
さらに、部活ができない分遅れをとる 焦り。
いろんな思いが渦巻く罪悪感に押しつぶされそうでした。
加えて病気自体の不安もあって、辛かったなという記憶です。
大丈夫、病気なんだから。
と自分で言い聞かせて納得させて。
これまで過去の話として書いてきましたが、現在までずっとこの「言い訳」をしてきたような気がしてなりません。
さすがに病気を前面に出すことはないし、心配して欲しいわけでもないので人には言いふらしませんが、自分の中で自分を説得する手段になっているというか。
わかりやすく言うと、
テストの点数良くなかったけど、病気だから早く寝ないといけないもんな、みんなより勉強時間少ないんだししょうがない。
みたいな。
持病があることは事実なので悪いことではないと思うけど、
それで良かったんだろうか、これからもそうやっていくんだろうか、ともやもやしている現状です。
もしかして、病気でなくとも 人間言い訳しないと生きていけないのか?
言い訳しながら生きてこれているなら、それでいいとも言えるかな。