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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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切り刻んで食べる理由

 

摂食障害のうち、少食/低体重 が問題となる拒食症(精神性やせ症)。
体重低下とともに「食べ物を切り刻んで食べる」という特徴があれば、拒食症を疑う必要がある、というように言われます。
切り刻む、ひとくちが小さい理由として考えられるものを挙げてみました。

 

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


「切り刻み」は拒食症の特徴だとは言われますが、なぜこのような行動になるのか、という説明は見かけたことがないように思います。
疑問に思ってササッと検索したりもしてみましたが、ぴったりくるものは見つけられませんでした。

経験者であるわたしでさえ疑問を持つことなのだから、未経験の人はかなり理解に苦しむのでは…?
ということで、ここではわたし個人の持論を書いてみたいと思います。

 


 

まず前提として、「切り刻み」の経験を振り返ります。

わたしが症状に苦しんだとき、確かに 食べ物はなんでも小さめに切り分けてから口に運んでいました。
でも、正直切り刻んでいたという意識はそんなになく、ひとくちが小さい、という方がわたしの場合にはあっていると思います。

ともかく、そんな食べ方が当時はおかしな行動とは思いもせず、それがなぜ摂食障害の特徴であると指摘されなければならないのかと反発心を抱いたことも事実です。

また どうして切り刻むのか、そんなにひとくちが小さいのか、と聞かれても、そのころは答えられなかったかもしれません。

一方落ち着いている今振り返ってみると、あの行動は過剰だったかもしれない、と思っています。

 


 

ここからは、後付け的にはなりますが、今現在思う「切り刻み」「ひとくちの小ささ」の理由を考えていきます。
あくまでもわたしの場合であって、当事者すべてに当てはまることではありません。

 

  1. とにかく抵抗感があったから

    まず、わたしにとって口に異物を入れることが 不安で恐怖で許しがたいことでした。
    それでも頭では食べなければいけないことがわかっているので、食卓について箸を持つ。
    食べたくない⇔食べるしかない の狭間で、どうにか 食べる が上回った結果 ひとくちは小さくても食べることができていた、という感じ。

    つまり精神的な抵抗感が、ひとくちの小ささという行動で現れていたということになりますかね。

    これはおそらく想像することができるのではないでしょうか。


  2. 「食べる」決断に時間を要したから

    そして2つ目。ひとくち食べるごとに、食べ物を摂取する覚悟が必要でした。
    食べることが恐怖ですから、その恐怖に打ち勝つ必要があるのです。

    また その時間の間、ただただ食べ物に向かい合うだけでもいいのですが、人と食卓を囲む場合はそういうわけにもいかない気がします。

    奇妙に思われるんじゃないか、手が止まっていると指摘されるんじゃないか、そういう不安が自らを追い込む。
    決断の時間と周囲の目の不安をなんとかしのぐために、食べ物を切り刻む時間を利用していた、といってもいいように思います。


  3. 食事のバランスを考えてしまうから

    もう1つ考えられるのは、食事のバランス。
    ほんのちょっとしか食べないのに、バランスなんてあるか、と今では思えますが、わたしの場合はすごーく考えていました。

    症状に悩まされる以前から、バランスには気を遣っていた方ではあります。
    なぜかといえば答えは明確で、「正しい」から。
    食事に限らず、「正しい」ことをすることが全てのように生きていました。

    時間がなくても宿題はやるのが「正しい」。
    何が何でも早寝早起きは「正しい」。
    バランスよく食べることが「正しい」。
    太ることはよくない=体型維持 or 減量 が「正しい」。

    極端ではありますが、そんな思考になってしまった結果バランスよく少食であることを求めてしまったように感じます。
    少食なのにバランスを考えると、ちょっとずつ食べるしかないのです。
    (なぜ「正しい」に固執してしまうのか、それは永遠の謎。そして、それこそが摂食障害の大きな特徴のひとつである気もする。)


  4. 「噛む」ことが疲れるから

    最後は、「噛む」について。
    当時はそこそこ食べているつもりではありましたが、やはり十分ではなく、体力も筋力も衰えていきました。

    アゴの筋力まで低下し、硬いものはアゴが痛くなり食べられない状況が続きました。
    硬いといっても通常では特に力の必要性を意識しない、ごぼうリンゴ食パンの耳 までも避けていたほどです。

    こんな状態なので、単純にアゴの負担を少しでも軽減するために切り刻んでいた、という理由もあると思います。

    そして、わたしにとって 食べる=噛む という認識に近く、噛むことを極端に嫌っていた面もあります。
    噛むことが嫌だから、できるだけ噛まなくてもいいように小さく取る。
    そんな理由もあったはず。

    (ちなみに、試行錯誤して冷凍の柔らかい介護食を食べていたころもあります。なんだかすごい技術が使われているらしく、柔らかいのに見た目は介護食とはわからない。お悩みの方はぜひ。)

    介護食のあいーと | イーエヌ大塚製薬

    [あいーと]はいつまでも食事を楽しんでいただくために、食べる方に合わせたやわらかさや、使い方に合わせてお選びいただける商品をラインナップしています。

 


 

いまわたしが思いつく理由はこれくらいでしょうか。
きっとこれ全部に当てはまるのはわたししかいません。
全く逆の理由なのにオモテで見えている行動は同じ、という場合もあるんだと思います。

だからこれがなんの役に立つかわからないけど、とりあえずわたしのもやもやは少し晴れました。
今回は結構はっきり言語化できたんじゃないかな。

摂食障害に関して思うのは、訳のわからないことばかりなのです。
大雑把に言うと自分がなんなのかわからなくなる。

真実はあるのかもわからないけど、今少しずつ整理することでちょっとずつ前に進めている感覚があります。

抽象的すぎてすみません😅
一気に明快な理解ができないからこそ、今回のようにひとつのことについて言語化してみる、という思考が身になっていると感じます。

これからもほんのちょっとずつ消化していけるといいな。

お化粧は義務じゃない

 

これから、美容についての記事も書いていくことにしました。
そこで、語らずにはいられないトピックについて 始めに綴っておこうと思います。

 

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

わたしはお化粧するのが好きです。得意とは言わないけど好き。
人と会うときは必ずお化粧をして出かけます。
自分の気分が上がるし、何より楽しいから。

だけど、違う理由でお化粧をしている方もいるでしょう。
思いつく中でわたしが一番気にかかるのが、「社会人としてのマナーだから。」という理由。

わたしとしては、お化粧は自己表現の1つ。
お化粧を表現の手段としたい人は性別問わずしたらいいし、他の表現を選択する人、表現したくない人はしなくていい、と思っています。

少なくともやらなければいけないものではない

 


 

わたしがアルバイトを始めた当初、研修の名目でこのことに触れたことがありました。

使用したマナーブックのようなものの、Q&Aコーナーに載っていたものを引用すると、
Q:化粧は好きではありません。ノーメイクでもいいですか。
A:社会人としてノーメークは失礼にあたります。派手すぎない清楚で健康的なメークを心がけましょう。
とのこと。

上司はこの点について「ノーメイクはあり得ないでしょ。」と呆れていました。
が、わたしはその記述にも上司の反応にも困惑しました。

高校生までは、眉を描くことや色つきリップさえも怒られる対象だったのに、一気に常識が変わる謎。
校則に代わって、社会人にはメイクがマナーとして根付いていることに対して危機感を感じたというのが正直なところです。

 


 

とはいうものの、わたしがメイクを始めたのもまた、「マナー」としての義務感からでした。

数年は申し訳程度に眉を描くなどの、最低限と思われるメイクを嫌々やっていました。
メイクしてるなーって思われるのが恥ずかしいし、上手くできている自信もない。
かといってすっぴんもすっぴんで、年齢自覚してないと思われるのも嫌だから。

それでも就活ではメイクしなきゃいけないようだし(今はそうは思わないけど)、練習しようと思い、YouTubeでメイクを勉強するようになってからは興味が増大しました。

キラキラのラメにときめいたり、ほんのちょっとで顔の印象が変わるメイクマジック!
肌質や色の組み合わせを考える、美容の奥深さ。
今では毎月予算内で、いかにコスメをやりくりするかにかなりの時間をかけるほどのとりこです。

美容において疑問を持つ気持ちも 追求したい気持ちも、どちらも経験しているからこそ、多角的な視点で美容を考えてみようと思っています。

コメント欄や問合せフォームから、ご意見・リクエストもお待ちしております。
見守ってもらえると幸いです。

今年も無知の知

 

わたしはこのブログの自己紹介として、「座右の銘無知の知。」と書いています。
これがいかに難しいか、実感していることを書き留めていきます。

 

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マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

まず、座右の銘が「無知の知」になった理由ですが、自分自身が誰にも理解されていないと感じたことから始まっていると思います。

わたしはこのブログで公開しているとおり、病気や障害を経験しています。
苦しんだ時期に感じたことは「孤独」で、誰とも気持ちを共有できないと思っていました。

そもそもわたしは、本心をさらす、ということが怖くて常に自分を偽っている状態だったため、他人が理解するなど不可能だったと思います。
だから理解してもらえている、という実感なんて持てるはずがありませんでした。

 


 

また、就活の際に書かなければならない履歴書にも息苦しさを感じました。
履歴書って、自己PRといわれるように、自分を表現して相手に理解されるように工夫を凝らすようなものとなっていますよね。

でも、わたしをわかってもらうためには、生まれてから病気のことや今感じる苦しさまで、全てを書き尽くさなければならなくて、一般的に奨励される履歴書の中身とはほど遠いものになってしまいます。

奨励されるような書き方にしてしまうと、都合の悪いことは隠すことになって罪悪感もあったりするし、こんなもので評価され進路を左右されてしまうのが辛かったです。
企業側は何もわかっていないのに。と。

 


 

だから結局のところ、みんな何もわかることなんて無理なんじゃないか、と思うようになりました。
わたしだって誰のことも、何のことも、真に理解はできていない。これをちゃんと心に留めておきたいと思っています。

 


 

ただしこれが本当に難しい…。
例えば、見た目でわかる障害のある人。ダウン症視覚障害など。
街でそのような人を見かけると、あ、障害あるんだな。と反射的に思って、大変だろうなと思ってしまったりします。

全体的にそのような傾向がある、というのは事実だとは思いますが、目の前の当人がその傾向がどのくらいあるかはわからないのに決めつけてしまうのです。
はっとして、いやどんな人かはわからないぞ、と無知の知を意識しようとはするのですが、やはり難しいなぁと思います。

かといってその認識が悪いものなのかというと、そうでもないこともあると思います。
ちょっと意識を向けていることで、何かあったときに手助けができる可能性もあるからです。

 


 

では、精神障害やLGBTQなどの場合はどうでしょう?
一見わからないことがほとんどですが、働いているはず、異性愛者のはず、などなど、無意識にラベリングして関わってしまいます。
(もちろんいわゆる健常者、異性愛者でもある分野で少数派であることはあるのに、「はず」を当てはめてしまう)

このことで傷ついた経験がある人は多いと思いますが、全くなくすことはできないと思います。
あらゆる可能性を考え続けるのは人としての能力では難しく、ある程度予測して行動するからこそ生きていられるのだと思うから。

じゃあどうしたらいいのか。
正解はわからないし存在しないのだと思うけど、とりあえず無知の知を意識し続けるしかないんだろうな、と思っています。
親しくなった人でもわかっていないことはたくさんあるし、家族でもそう。
忘れがちにはなるけど、今年も引き続き意識していきたいと思います。

てんかん持ちの運転事情

 

てんかんを持っている人は、自動車の運転に対して大なり小なり不安を抱えているかと思います。
この不安について、わたしの思いや経験を書いてみようと思います。

 

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【お知らせ】2022年から、カテゴリー分類が変わります。

てんかんと運転免許についての関係ピンとこない方のために、少し前提をお話ししておきます。
てんかんは、不意に意識を失ったりけいれんを起こしたりする病気です。薬によって発作を抑える治療が一般的です。

運転中に発作を起こすと事故になりかねませんよね。
実際大きな交通事故が起こった際、のちにてんかん発作が事故原因であるとされた例があります。

それによって、てんかんがある=運転は危険 と言われることが多々あります。
しかし、運転免許が取得できる条件があり、それをクリアすれば運転が認められているんです💡

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わたしはこの運転の条件を満たしたことがあります。
今でも主治医に運転したいとの意思を伝えさえすれば、許可が下りるであろう状態です。

ただわたしの思いとしては、日常生活でさえ恐怖を抱えながらいるのに、運転なんてできない。
そう思って運転免許を所持していません。

もちろん てんかんを持つ人の考えはそれぞれなので、これがマジョリティなのかマイノリティなのかはわかりません。
が、わたしのように思う人は少なからずいると思います。

以前運転免許について触れた記事

わたしの手帳② 無能感の実感 と 諦め - cotton の 目

前回に続いて、障害者手帳シリーズです。 今回は、手帳に懐疑的だったわたしが、取ろうかな…と考えを改めたきっかけについて書いていきます。

また、運転免許を持たないことは、生活上不都合が生じることがあります。
具体的に挙げられるのは、

  • 職業の選択肢が狭まる
  • 交通手段が限られる  など。


実際わたしが就活をしていたときは、応募要件に必ずといっていいほど「普通運転免許」の記載がありました。
まれにある応募要件「特になし」でも、面接時などに免許なしだと言うと「あ~それはちょっと…」という反応。
就職はかなり狭き門でした…😥

 


 

でも、それ以上の葛藤があると感じています。

例えば友人に「応募要件に運転免許あるからこの会社受けれないんだよね~」って愚痴ったとしたら。
「じゃあ免許とったらいいじゃん」「なんで免許とらないの?」
って話になりますよね。

なんで取らないかを説明する必要がある、病気の説明が必要なわけです。
フレンドリーに関わりたいと思っている友人だとしても、持病をオープンにしたいかどうかは別です。(わたしは。)

愚痴る内容も病気に関わるかどうか、相手に過剰な心配をかけないかどうか、常に判断しなければいけない状況があるのです。

たかが運転免許ですが、こんなに生活に関わってくるものとは思っていなかったので今更ながら不自由を感じています。

そうはいっても 発作が怖くて、思い切って免許とろうとはならないので、現状が変わることはないと思います。
公共交通機関の発達した地域に住むか、リモートワークに適した技術を習得するか…
いずれにしても選択肢が少ないことには変わりなく、厳しいなぁと思ってしまいます。

大きく考えると、どんな人でもこの世界で生活するために我慢や努力をしているんだと思います。
みんな、お疲れ様です🍵
だからといって生きにくい世界を努力で何とかしようとするのは息苦しすぎる。
力抜いても生きられる世界にならないかなぁ。

摂食障害を「持つ」ことができている

 

わたしは摂食障害(拒食症)の経験があります。
今では、わたしの中での病気の位置づけがすっかり変わってきたことを綴ります。

 

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わたしは摂食障害を経験していますが、症状の波はかなり小さいと言え、客観的には比較的穏やかな病状でした。

それでも「比較的」なので、わたしの人生の中では一番辛い時期ですし、心の中が常にざわつく闇の経験です。

それと比べると現在は心が落ち着いています。
心情に伴って身体的な健康も取り戻しつつあり、病気の捉え方も変わってきた、というお話をしたいと思います。

 


 

ここで紹介するのは、「どのように病気を脱するのか」ではなく、「いつの間にか改善していった結果、現在どのように病気を捉えているのか」という点であることをご理解ください。

まず、今現在 摂食障害(拒食症)であるのか、についてです。
結論から言うと、曖昧にはなりますが 治ったわけではない、と思っています。

他者から「元気になって、治ってよかったねぇ」と言われると、強烈な違和感を持ちます。
確かにしっかり食事は採るし、食べ物を口に運ぶ行為には恐怖を抱かなくなってきました。
それでもスタイルがよくなりたいと願い、会食はできるだけ避けたいと思います。太ってきたなぁと実感して焦ることもしばしばあります。
それらの感情が、摂食障害によるものだという認識があるのです。

摂食障害でない人ももつ感情であることはわかっていますが、その区別ができなくて、摂食障害の延長線上にあるものだと感じています。
ただ、医学的に考えると、体重が戻ってきたことで もう拒食症と診断されることはないでしょう。

 



では、いま摂食障害に苦しんでいるのか というと、そうではありません。
すごく楽に暮らしていて、摂食障害真っ只中とは比べものになりません。

最も症状に苦しんでいたときは、わたしの人生が乗っ取られてしまったような感覚で、摂食障害「負っている」という表現がしっくりきていました。
生活の全てが摂食障害によって動かされ、心の中にも自由がない感じ。

でもいまは、摂食障害「持っている」
暮らしの大半は摂食障害を思い出さずに済み、何かにワクワクしたりときめいたりすることができます。
それでもふとした瞬間に摂食障害がよぎりますが、ただ「持っている」だけなのでそれだけに振り回されることはあまりありません。

きっといまのわたしと同じような状態で「私は治った」と言っている方も多いんだろうな、と思います。
そう思えているのならそれでよくて、捉え方は人それぞれです。

だけどわたしが自信を持って治りました、と言えるのはまだまだ先になりそうです。
どうなったらそう言えるのか、それは全くわかりません。
もしかしたらというか、かなり高い確率でこの感覚を持ったまま人生が終わっていくんだろうと受け止めています。

 


 

このように書いていると、すごく順調に改善した例なんだろうと思われるかもしれません。
正直それは否定できませんが、闇の時代には改善できると信じることもできませんでした。

だから今苦しむ人には「きっとよくなる」とか、「これを乗り越えればこれ以上辛いことはない」とか、わたしには絶対に言えません。
毎日が辛くて苦しいよね。改善した人の話なんて参考にならないよね。と思ってはいるけど、わたしができることを自分のペースでつぶやいてみています。

記事下にはコメントボタンがあります。
経験や思いなど、気軽に書き込んでくださいね。
ご家族、支援者さんのご意見もお待ちしています。

2021/12 cottonの現状

 

最近、元々目指したブログのニュアンスと変わってきたように感じたので、わたしの近況を整理します。
(いつもより少し砕けてます)

 

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ブログ開設から1年近く経ちました。
そこで、当初の自己紹介を振り返って、自己認識を更新してみようと思います。

記事を読んでない方はぜひ見てください。

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まず、友達や先生などにいつも言われてきたなぁと思うのが、「おとなしくていつもニコニコしている子」です。 それを聞いて自分では「誰も傷つけないふわふわした人。だけど特筆するものなく、つかみ所のない人。」だと思っています。自分でも自分がなんだかよくわからない。

自己紹介【ブログの概要】 - cotton の 目

ココは大半が変わっていないところです。
いつもニコニコ顔が張り付いているし、自分が自分でわからない感覚はあります。

ただ 次に挙げる部分と関連して、変わったかもしれないところもあります。

そんなわたしがブログを始めた理由は、 心の中でつぶやく本音を発信してみたかったから。見てもらって、こんな人もいるんだなって。それだけでいいんです。

自己紹介【ブログの概要】 - cotton の 目

本音の発信 だとは思っているけど、今はブログ外で、思いを現実的に声に出して訴えることも増えました。
これがずいぶん変わったところです。
その上で 未だ言葉にならないもやもやをブログで放出するようになっています。
もちろん、誰にも明かしていない気持ちも綴っていますが。

 


 

だから、つかみどころがないと思われているであろう という自覚は薄れています。
しょっちゅう意見を伝えているバイト先の社長には、変な人 面倒な人、と思われている自信があるし、同僚にも ちょっと変わってる、と思われていると思う。🤭

以前はそう思われるのが嫌で 必死に皮を被っていたような感じだったけど、いつの間にやら、どう思われてもいい 気になることは言いたい、という風に変わっていったようです。

確か昔は、しっかりと意見を言える人に憧れていました。
そのころ憧れたようになれたのかというと そこまでではなく、意見を飲み込むことは多々あります。

正確に言うと、意見を言えるようになったのではなく 意見を言おうと思えるようになった
言うか言わないかは別にして。

 


 

だからここで言いたいのは、いつもいつも思いを飲み込む寡黙な人が書くブログじゃないよ。ってこと。
そう思われると、「○○って社長に反論しました」なんて記事を書くと、思ってたのと違うってなるかなと思って。

人に言えない気持ちはきっと誰にでもあるので、わたしなりの秘めた思い や もやもやをはく場所です。
共感してもらえると嬉しいし、疑問や理解が生まれるのも嬉しい。
そして ここでわたし自身が成長するのがいちばん嬉しくて、最近の変化もブログが少なからず影響していると思っています。

これからも変化を見守って頂けると大変助かります。
気楽に生きようとするひとが、いろいろ考えるブログっていうのが今の現状ですかね。

ひとつのテーマに絞ったブログも魅力的ですが、ココは変わっていくブログになります。
トップ画面にも表示させていますが、来年から「美容」についての記事も積極的に書きたいと思っています。
ぜひ、お楽しみに。

インカム嫌悪-続編

 

「インカム嫌悪」の続編。
インカムが苦手なわたしが、その後の仕事をどうしているか書いています。

 

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実は、このブログ全体の中で 以前書いた「インカム嫌悪」の記事が一番読まれています。
摂食障害や脳動静脈奇形に焦点を当てたはずだった このブログとしては意外なことです。笑
まだ前回を読んでいない方はこちらからどうぞ。

インカム嫌悪 - cotton の 目

以前の記事でも少ーし触れたことがあるのですが、バイト先で使用するインカム(トランシーバーみたいなやつ)がとことん苦手です。 わたしだけではないと信じて、どんな風に嫌なのか、辛いのか、言語化することに努めてみました。

 

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わたしの考えが広がっていく喜びを感じつつ、それほど多くの方がインカムに悩まされているのかと考えると、とても心が痛いです。

インカムの悩みを取り除くことはできませんが、わたしの経験を参考としてお伝えできればと思います。

 


 

まず、以前の記事で綴ったことを整理します。

  • 異常にインカムが苦手であること
  • 社長などに訴えてもなかなか理解されなかったこと
  • 我慢できないため辞めたいと申し出たこと


以上を書いていきました。

そして、今どうしているかというと、かつてインカムに悩まされていた職場で 未だに勤務しています。

とはいっても、「インカムなし」という社内では異例の条件です。
この働き方になって格段に働きやすくなりました。

ここからは、これに至った経緯を時系列で紹介します。

 


 

まず、辞めたいという意思を表示したのは 社長との面談の機会を得たとき。
面談するようなタイミングではなかったのですが、幹部の方に相談してセッティングしてもらいました。
内容はこんな感じです。


<社長との面談>

【わたし前も言いましたが、本当にインカムが辛いです。1か月はなんとか頑張るけど、本当は今すぐ辞めたいほど辛い。
【社 長そんなになの?そっかぁ。インカムは仕事に必要だし……わかった。今すぐ辞められると困るけど、給与の区切りまで働いてくれる?
【わたし了解です。終わりが見えれば頑張れます。


ほんとにこんな感じ。
わたしはインカムがある限り続けられない、ということも伝えたので、引き留められることはありませんでした。

 


 

でも結局のところ辞めてはいないわけです。
どうして辞めなかったのか、きっかけはこんな会話からです。

<同期との愚痴>

【わたし】辞めるって言ってきた。たぶんあと1か月ちょっとだと思う。
【同 期】ほんとに?ほんとにやめるの?辞めて欲しくない… インカムだけが理由ならインカムしなくていいからさぁ(T-T)
【わたし】それならいいんだけど…。でもインカムなかったらやることほとんどなくなっちゃうしね。
【同 期】出勤減らして続けるとかは?コレもあるしアレもできるよね?
【わたし】確かに。それならいけるかも。


同期との会話。
仲が良かったので インカムがかなり苦手であることも伝えていて、理解しようとしてくれました。

まぁ実際の会話ではこんなにスムーズではなくて、何日かかけて二人でどうにか続けられないかと案をしぼり出しました。

わたしは辞めてストレスから解放されたかったので、続けるつもりはなかったのですが、同期がアレコレ考えてくれてのってしまいました😳

次の仕事も決まらないままに仕事を辞めることを決め、就活をしてもすぐに見つかることはないとわかっていたことも一因です。

この職場も、大卒の就活で上手くいかず流れ着いたような感じ。
就活の厳しさも増す状況に、辞める日が近づくとともに不安が増したのです。

 


 

そうして、同期が「上司に言ってみてもいい?」と、こんな風にしたら続けられるんじゃないかという案を伝えてくれました。

具体的に言うと、【やらないこと】と【やること】をはっきりとさせました。

やらないこと▼

  • インカムの装着
  • インカムでの 情報共有/相談 が必要な 電話応対/接客

やること▼

  • DMやチラシ、POPのデザイン
  • DMの郵送準備~発送
  • その他雑用もろもろ


正直、こんなにわがままでいいのか?と…迷いがなかったとは言えません。
ただ 辞めることを前提としていたからこそ、こんな条件でもいいなら続けます、と正直な気持ちを伝えることができました。

決定権は会社にありますから、この提案はなかったことにして辞める可能性も十分にありましたが、人手不足になるよりは、と続けることになりました。

 


 

あれから1年ほど経過しましたが、(はやい…)
「インカムを付けない人」で定着しました。
この影響で社内のコミュニケーションはかなり減ってしまったことは実感しています。
ですが、コミュニケーションが得意でないわたしにとっては、かえってストレスなく働けています。

また、接客業の雑用という なくてもいい仕事をしていることで、やりがいがない、と感じることもまれにはあります。
でも、もともとやりたくてやっている仕事ではないので 会社に貢献したいとはあまり思っていないし、今では、なくても良い仕事を発掘するのがむしろ楽しい。

あまり褒められる働き方ではないかもしれないのですが、自分にとっては価値のある働き方です。
まさに裏方という感じで、直接の企業活動への影響は少ないがほんの少し底上げをしている、という自負はあります。

 


 

今インカムに悩んでいる人に、参考になることは少ないかもしれません。
辛いことを考えるのもしんどい、という気持ちもあるでしょう。
自分のタイミングでいいので、しんどさを上司などに伝えてみませんか。
こうしたいという希望があれば、わたしは応援したい。

そして、悩みを打ち明けられた上司の方へ。
とことん耳を傾けてください。
わたしの場合はインカムから完全に離れることを選びましたが、装着する時間を少し短くしたり、インカムを外していい時間を決めたりすることでもだいぶ精神的に楽になると思います。
より性能の良いインカムも、もしかしたらあるかもしれません。
いろんな選択肢を探ってみてください。

また、インカムってそもそも必要なの?ってことも考えるきっかけにしてほしい。
言わないだけで、インカムを我慢している人が大勢いるはずです。
どれだけ便利な道具でも必ずデメリットはありますから、よりよい環境を追求することも検討してください。

わたしは、我慢する働き方はしたくないと思っています。
様々な人が心地よく働ける社会になって欲しいな。
難しいけど、まずは自分の心地よさに正直になることから挑戦し続けたいと思います。