cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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手帳習慣を身につけたい

 

スケジュールを管理する手帳。
皆さんは何派ですか?

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

先日、来年用の手帳を買いに行ってきました。
購入したのはごく普通のマンスリーの手帳。
各月のマンスリーページの間に、メモページがあるものです。

実は手帳、続かない人です。笑
今年は6月までは自作のマンスリーデザインを印刷して使っていましたが、どうしても面倒で…
いつしか手帳を開かなくなっていました。

7月からは手帳アプリをメインに使いました。
でもやっぱりデメリットはあるんですよね。
・直感的に書き込めない
・一覧性に欠ける
というところです。

いつでもどこでも、というのは素晴らしい利点だけど、
手帳を書く楽しさは全くありませんでした。

やはり楽しく続けたいので、手帳の習慣はハードルを下げることを意識しようと思います。

 


 

今年の反省点は、意気込みすぎたこと!

オリジナルのマンスリーデザインを考えることは、すごく楽しいことでした。
でも、一時のことではなくてずっと続けることを考えると、印刷する手間などはかなりのハードルになりました。

しかもきれいに作りすぎたことで、自由度が少なくて、余白も多くなって寂しい感じに。
一般的な見開きのマンスリーが使いやすく見やすいな…というところに落ち着きました。笑

 


 

反省を元に、持ち運びに負担のない薄いマンスリーを購入しました。
これで印刷の手間もないし、ほぼ「いつでもどこでも」を実現できます。

あと、続かないことに対しての対策。

フリーターに加えてインドアなので、予定も少なくて手帳を書くモチベーションが上がらないんですよね。
それがわかっているので、スケジュール管理以外に、ひとこと程度の日記をつけていこうと思います。

実は以前も日記っぽいことを書いていたけど、書く時間と場所を決めていなかったので、なかなか習慣化されませんでした。

そこで、手帳スペースを確保することに。
わざわざ手帳を持ち出して机に広げて…が面倒なので、棚の上に常時手帳を置いて、一日の終わりに棚の上で立ちながらササッと書く方式にします。
その棚に毎日飲む薬を入れているので、薬を飲むついでに書けるはず!

あとは、かわいいシールを貼る予定!
何もない日は真っ白になりがちだけど、そういうときはシールを貼る。
それはそれで幸せな一日になりそうじゃないですか?

これらの対策をしっかり実行していきたいです。

 


 

ということで、年末までかわいいシールを探したいと思います。
来年こそは手帳を習慣化して、ブログも定期的に上げたい!笑

でも意気込みすぎず…
マイペースにゆるゆるとやっていきます。

好きなタイプは

 

最近やっと「好きなタイプ」を言語化できるようになりました。
恋愛観についても悩んではいるものの、なんとなく定まってきた気がします。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


わたしは、いわゆる恋バナが苦手です。
恋したい、恋=幸せ、みたいな価値観が前提になっている感じが居心地悪いです…
でも、それだけではなかった気がします。

おそらく、自分の恋愛観が定まっていない中で、「恋バナ」の輪の中で話せることがなかったんですよね。
定まっていないと、勝手に「こういう人が合うんじゃない?」などと言われる中で、賛同も否定もできないから。
ただ好き勝手言われ放題で、なんにも言えない空間はしんどいです。

だから、恋バナという恋バナを避けては来たものの、
ここ1年は 恋愛指向や性的指向について考える日々でした。

そのおかげなのか、冒頭にもあるようについに好きなタイプ(指向)を言語化できるようになりました。
結論から言うと、わたしは
「人に優しく、自分を大事にできる人」が好きです。

 


 

タイプについてはずっと「優しい人」と答えてきたのですが、
どこか引っかかっていたんですよね。

優しいってどういうことだろう、とか、
優しければ誰でも良いわけではないんだけどな、とか、
自分で言いながらもやもやしていたんです。
人に優しく」は、
そのもやもやをすっきりさせられる言葉です。

優しい人って結構どこにでもいます。あまり厳しく言われたり、キツく当たられることはないし、周りの大体の人は優しいと思っています。
でも、それは「わたしに対しては」という条件付きなことが多いです。

赤の他人(店員など)に対しては横柄な態度だったり、
ありがとうを言えない人が驚くほど多いと気付きました。
今後会わないかもしれない赤の他人に対しても、分け隔てなく思いやりを持って接することができる人が優しい人だと思っています。

 


 

そして「自分を大事にできる」というのは、
自分の気持ちや意見、身体を犠牲にしない、ということです。

一般的によく言われる「優しい人」には、
自分を犠牲にしてまで優しく居てしまう人というのが多く感じています。

恋愛について言えば、パートナーの意見を最優先にしてしまう人。
優しいかもしれない。
だけど自分の意見を我慢しているかもしれなくて、いつかそれが爆発するんじゃないかという怖さもあります。
そうじゃなくて、意見が食い違ったときにきちんと話し合いができるような関係に憧れます。

 


 

タイプが言語化できて 自分で認識できるようになってから、
すごくすっきりした気分になりました。

これが、なんとなく惹かれる人の
今のところ見いだせた共通点であるような気がしています。
このタイプには恋愛以外の好みも含みます。

そして、わたしもこんな人間になりたいと目指しています。
人に優しく、自分を大事に。

悩んだ結果、恋愛に限るならやはり男性が好きなんだろうな、というところにも落ち着きました。
戸籍上女性だけのSNSをやっていて、
女性に魅力を感じないわけではないんですが、恋愛ではない尊敬の感情が湧きます。

SNSについて

SNS|女性限定アプリ(LGBTQ+/アライ)

先日から使い始めているお気に入りSNS。 まだまだ認知度が低いようなので、感想を書いてみます🌈

この尊敬の気持ちでならパートナー関係になれる可能性はあるものの、
恋愛感情でパートナーになれるのは男性(もしくはボーイッシュな人)かなぁと、今のところ思っています。

となると恋愛感情ってなんやねん
というのはまだわかりません…
ただの尊敬の感情とは違いそうだ、ということはわかる気がします。

 


 

あと、これで恋バナが楽しめるようになったかというと
そんなことはありません。
でも少しはその場にいられるようになったかも?
メンバーにもよるけど、意見があることでその場にいることが許されるような。

恋愛に関してはまだまだ模索していこうと思います。
好きなタイプが定まらなくても大丈夫。
模索することが自分を見つめ直すきっかけになっていると思います。

映画館克服?

 

映画館を若干?克服しました✊

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

約10年前、映画館で映画を観た直後にてんかんの症状が出て以来、
映画館を避けてきました。

映画事情

てんかんでも映画が観たい

てんかんには、光によって誘発されるものがあるようです。 わたしは、映画館で映画視聴後に気分が悪くなったことがあるので、ここ何年かは避けるようにしています。


ただ、映画を観るのは好きなので、
いつか克服したいと思ってタイミングを見計らっていたんです。

ほとんど症状が出ていない状態の今なら…と、
先日思い切って映画館に行ってきました。

結果、発作なく映画を観ることができました!!👏

 


 

発作が出ないかどうか不安はもちろんあって、
気をつけたことがいくつかあるので紹介します。

まずは映画館内の席場所。
万一の時に離席しやすい出入り口近くにしました。
少し外の光が漏れてくる感じでしたが、それがかえって良くて、真っ暗すぎない感じに安心感もありましたよ。
てんかんを理解している母と一緒に行ったのですが、
スクリーンからは一番遠い後ろの席で、通路側にわたしが座りました。

また、予防策として半透明の下敷きを持参しました。
今回観た映画は、てんかんを誘発するとされる光の刺激感は少なめだったかもしれません。
ですが、映画を観るまでピカピカしないかわからないのは不安ですよね…
映画の中で光の点滅などがあるときはすかさず下敷きを目にかざして
光の刺激を和らげるようにしてみましたが、効果があったかはわかりません。笑
周りに迷惑にならないようには気をつけなければいけませんが、
なんとなくお守り的な安心感はありましたね😌

 


 

とにかく観ることができてほっとしたのが第一。
でも、少し気になることもありました。

それは、映画を観たあとのこと。
しばらく若干の頭痛がありました。

実は、自宅で映画を観るときも頭痛があるときがあるんです。
自宅では、気にしなければスルーできるくらいの軽度の頭痛なんですが、
映画館後は横になりたくなるくらいの頭痛でした😥

その日は疲れもあったし、頭痛の要因は映画だけではなかったかもしれません。
でも、完全な克服とは言えないかな~というのが感想です。

発作が出なかったとわかっただけでも大きな成長なので、
もう少し様子を見てみようと思っているところです。

今回はてんかんのことを理解してくれている母と行きましたが、
まだ友達などと行く勇気はありません…
何度か映画館にチャレンジして、友達とも行けるといいなぁ。

てんかんの前兆|不思議の国のアリス症候群

 

ふと目にとまった「不思議の国のアリス症候群」。
わたしの経験と似ている気がしました。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

わたしがいつも読んでいるブログがあるのですが、
不思議の国のアリス症候群」について触れている記事がありました。

具体的な症状としては

不思議の国のアリス症候群では、自分の体が大きくなったり小さくなったり、時間が経つのを早く感じたりといった奇妙な感覚が起こる。
引用:https://medical-tribune.co.jp/kenko100/articles/120302526180/

と言われているそうです。

この症状、わたしにも身に覚えがありました。
それは、てんかん発作が起こりそうな嫌な感覚です。

少し調べてみると、

不思議の国のアリス症候群は、てんかんの発作前や片頭痛の前兆として現れる

引用:https://medical-tribune.co.jp/kenko100/articles/120302526180/

という説があるようです。
ただし、脳のどの部分の異常なのかは未だ明らかになっていないとのこと。

はっきりはわからないものの、
てんかんの前兆のような気がしていた「あの感覚」が、間違いではなかったような気がして妙に納得しました。

※ 「不思議の国のアリス症候群」の診断を受けたわけではなく、自己判断で自分にその症状があると認識している状態です。

 


 

ここからは「不思議の国のアリス症候群」についての説明ではなく、
わたし自身の「てんかんの前兆」だと思っている感覚を言語化してみます。

まず、ん?と異変を感じるのは、
大抵「脳がついてこない…!」という感覚です。
言い換えると「時間がゆっくりになる」とも言えるかもしれませんが、これは一瞬のことです。

それからは、目が回るような気分になったり、
遠近感覚がなくなってフラットな世界になって距離感がわからなくなります。

この距離感のわからなさによって、
ものが大きく感じたり小さく感じたりしますが、
どちらかというと浮遊感遠近感覚がないことに焦ります。

おそらくこの焦りによって時間の経過が速く感じるのとともに
高速で目が回る感覚があります。
この目が回る症状は「てんかん発作」にあたるのではないかと思います。

血の気が引く感じと目が回る感覚に襲われて、
「止まれ、止まれ…」と念じています。

とはいっても、発作中は言葉の意味が理解できなくなるので、
「止まれ」と呟けるわけでもなく、
ぎゅっと体に力が入る(入ってしまう)感じです。

 



この一連の症状が起こるシチュエーションとして
わたしに多い気がしているのは、
映画やプロジェクターで投影した映像に集中しているとき。

映像が大きく見えるというよりも、
映像の中に自分が入っていってしまうような感覚になって怖くなることがあります。

光の刺激も加わることで、発作が起こりやすく感じています。

映画についての記事

てんかんでも映画が観たい

てんかんには、光によって誘発されるものがあるようです。 わたしは、映画館で映画視聴後に気分が悪くなったことがあるので、ここ何年かは避けるようにしています。


授業などでどうしても見なければいけないときは、
集中しすぎないように適度に視線を逸らしたり、意識的に目を閉じたりして乗り切っています。

 


 

今回は不思議の国のアリス症候群を知って、
改めてわたしのてんかんの前兆について書いてみました。

まだ関係性についてはわからないことが多いので、
しばらくリサーチしてみようと思っています。

人の側面はいろいろ

 

全てをわかって欲しいと思う感情、ありますよね?
でも、全てじゃなくていいんだと思う出来事がありました。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

先日、SNSで知り合った方と実際に会う機会がありました。
性格としては「寛容」という言葉がよく似合う方で、
多様性についての意見や葛藤をお話しできました💭

わたしはブログカテゴリーにもあらわれているように、
マイノリティ的な関心や悩みがあったりします。

ブログカテゴリー

日常 / 美容 / 摂食障害 / 脳動静脈奇形


多様性はそれらをひっくるめて受け入れてくれるように感じるので、
そのような話ができるのが嬉しかったです。

 


 

そこでわたしが出した話題のひとつが、
ひとにわかってほしいという思いはありませんか?」という内容。

様々なマイノリティ性を全部わかってくれる人がいてくれたら…
というわがままな思いで寂しくなったりすることがあるからです。

この人にもわかって欲しい と思い、小難しい話をし始めてしまうことがたまにあります。
それをどう柔らかく伝えられるのか、という話だったのですが、
返ってきたのは「それは難しい」という答えでした。

 


 

相手には既に「常識」の認識があり、
そこにマイノリティの感覚を伝えるのは至難の業だと経験でわかっているようでした。

マイノリティは理解されることがほぼなく、
当事者同士でも認識が対立したりするのはよくあることです😣

悲しいけれどそれが現実で、「わかってもらいたい」というのは難しすぎる望みなんでしょう。

 



ただ、「わたしはこういう人なんだ」と、
それだけ伝えれば良いんじゃないかというアドバイスをもらいました💡

その方は実際に「私はこうなの」と言い続けて、
わかっているかはともかく受け入れてくれる友達がたくさんいるそうです。
だから「わかってほしい」と思うことはないのだとか。

確かに「この人はこういう人」と受け入れてくれる人がいればいい気もします。
多様性ってきっとそういうことなんですよね。

わかって欲しい!となるのは
一歩間違えると価値観の押しつけにもなり得るし、慎重にならなければいけないと思います。

 


 

その話を経て、
理解者が欲しい思いもあるものの、今はいろんな人と話してみたいです。

わたしの様々な側面と一部合う人に出会えたら、
その人とはその側面で付き合っていけばいいと思う。

関係が深まれば別の面を話してみるのもいいけど、
全てを話すことが善でもないんだろうと思います。

昔から人の影に隠れるタイプだったので、
会話の経験値が少なく、上手く話せないことも多々あります。

でも、上手く話そうとしなくてもいいですよね🙆‍♀️
会話が楽しいと思える相手を見つけられるといいな、と思います。

人との相性

 

人と仲良くなりたいときに重要視する相性。
何をどう伝えるか、何を共有するか、人それぞれだと実感している今日この頃。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

わたしは人間関係が狭く薄いため、
しばしば孤独感や不安感を覚えます。

自分から行動しようとするエネルギーが若干持てるようになったことで、
人間関係をより豊かにできるように頑張ってみているつもりです。

表面的な付き合いならまだしも、
深い付き合いを求めるならそれなりの自分の気持ちや考えを伝える必要があって、
それはとても難しいことだと実感しています。

 


 

例えば今、
おおまかな人柄を知った上で、辛かった過去を教えてくれた人がいます。
共感するところもあり、もっと知りたい、仲良くなりたいと思います。

だけど質問攻めにするわけにもいかず、
どんな風に距離を縮められるのか図りかねているところです。

自分の考えを伝えることも 実際に顔を合わせることもしていますが、
相手の顔色も窺い、全てを伝えることはできません。

顔色を気にしなくても、言葉で言い表せることには限界があるので不可能なんだとは思うのですが。

伝えたからといって仲良くなれるというものでもないのでしょうが、
仲良くなるってどういうことだっけ?と迷子になる始末です。

 


 

そもそも相手がわたしとの関係をどのように考えているのかも、わかりません。
伝えてくれようとはしているし、受け取った言葉もあります。

それでも、その言葉がどの程度の重みを持っているのか、
どこからどこまでの範囲を言っているのか、
100%本当に思っていることなのか、
わからなくて頭を悩ませてしまいます。

当然ではあるものの、頑張れば仲良くなれるというものではないんですね。

 


 

また別の人とは、同じく何を考えているのかわからない状態ではあるけど、
わからなくていいんだという謎の自信があったりします。

全てを言わなくても、受け入れてくれている感じがするんです。
その人とはその信頼感だけでいい気がします。

とは言いつつ、もっと具体的な話をしたいとか、
どんな人なのかもっと聞きたいとか そういう風に思うこともあって、
欲深いなと呆れる感情もあります。

 


 

それぞれの付き合い方や仲良くなり方を経験している内に、
結局のところ「相性」なんだろうと思うようになっています。

前者は言葉を尽くしてもわからない人であって、だけども互いに向き合おうとするその過程は心地よい関係。
後者はただ時間を共有することが重要であって、上手く話せなくてもいいと思える。その代わり考え方の共有は難しい関係。

前者の関係を後者に近づけようとすることも、
またその逆も不可能なんだと思います。

人が違い、相性が違うから。

 


 

どちらも今後も付き合っていきたいと思える人なので、相性が悪いことはないと思います。

どうしたらより信頼できる関係になるのか、
より心地よい関係になるには何が必要なのか、
よく考えたいと思います。

人付き合いには食が付きもの

 

最近ちょっとした人付き合いというか、人と会ってみようという意欲があるわたし。
そのきっかけと現状を綴ってみます。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

人付き合いと言えるほどのものかわかりませんが、
SNSを使っていたり、マッチングアプリを使い始めたりしているこの頃。
自然と「この人と会ってみようかな」と気楽に腰を上げることができるようになりました。

つまり以前はなかなか人に会わなかった、ということですが、
摂食障害経験者であることが大いに関係しています。

 


 

誰かに「今度遊ぼう」と声をかけるとき、ご飯やカフェに行く話になりますよね。
スポーツなどの趣味のつながりなら「一緒に趣味をやろう」という意味もあると思いますが、「」を含むことも多いのではないでしょうか。

きっと「」で同じ時を過ごしたり、体験することが、重要なコミュニケーションとされているからだと思います。

わかってはいるものの、何においても「」が切っても切り離せないことを恨んでもいました。
摂食障害で食べることを苦手としていたので、
必然的に人間関係が狭く薄っぺらくなっていたんです。

よく孤独を感じていたため人間関係を作りたかったのに
」を抜きにしては難しく、
かつ人見知りでもあり、孤独を極めました。(主観)

 


 

そんなわたしが人付き合いに前向きになったのは、
摂食障害が落ち着いたことが大半の理由だと思っています。
特に外食に覚悟もいらなくなったし、
人前で飲食することに対して抵抗もなくなりました。

」のハードルも下がったことで
人付き合いへの気の重さがずっと減りました。

 


 

でも、困難はあります。人と会うことが増えて気付きました。
「会う」ということへの抵抗はかなり少なくなったものの、
やはり「食べる」ことは苦手なのです。

というと語弊がありますが…
どこかで会って何か食べてお話しでもしない?ということなら気楽。
だけど、
何か美味しいものでも食べに行こう、何が食べたい?だと急に気分が重くなる。

違いは伝わりますでしょうか。
前者はおしゃべりがメインで、食べるのは適当な場所で。というニュアンス。
後者は食事が全面にある口実で、何が食べたいのか決めなければならない。

食べたいものって…?
好きなものって…?
美味しいものって…?
わたしには迷宮入りしてしまう質問なのです。

 


 

もしかしたらどちらの質問も大した差ではないのかもしれません。

どっちにしろアクセスのしやすい場所を選ぶだろうし、
好きなものが食べられそうなところ あるいは 食べられるものがありそうなところ を選ぶでしょう。
なのに全然気分が違うのです。

考えすぎかもしれません。
けれど、考えずにはいられないのは困難だなと思います。

 


 

何が食べたいか聞かれたとき、一番いけない答えだと言われる「なんでもいい」。
それだけは口にしないように気をつけていますが…

苦労して食べたいものを挙げ、
お店を探すのも億劫になり、
こんなことなら会いたくない、と思ってしまうくらいなら
「なんでもいい」を許して欲しい、と切実に思っています。

食べられるようになってもなお 食の悩みは尽きない現状です。