セクシュアリティは、先天的か後天的か意見が分かれるもの。
自分に当てはめて「もしも」を考えてみました。
かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。
まとまらない視点・思考をブログで放出中。
最近読んだエッセイ集『私の身体を生きる』。
17人の著者が自分の視点で体験談を書いていて、とても興味深いものでした。
私の身体を生きる
17人の人気小説家・美術作家・コラムニスト・漫画家・発明家が自らの「身体」と向き合い、ときにユーモラスに、ときに激しく、そしてかつてない真摯さで文章をつむぐ。「文學界」人気連載がついに単行本化。
性に関して思い悩んだことがあるならきっと共感部分があるだろうし、
今まで特に深く考えたことがなかったなら、これから考え方が変わるんじゃないかと思うような、多様さに溢れて本当に面白い。
わたしは読みながら自分のセクシュアリティについて考えていました。
わたしが自認する、他人に性的指向が向かない「アセクシュアル(Ace)」は、性に関してトラウマがあるのではないかとよく言われます。
でもわたしには性体験がないし、
幸いにもいわゆる痴漢被害に遭ったことがありません。
だからトラウマなどによる後天的なものではなくて、生まれ持った性質なんだと理解していました。
けれど読後の「既視感」を振り返って思うのは、
後天的要素もゼロなわけはない、ということ。
本に書かれている体験をそっくり経験しているわけではないのに、思い当たることがいくつもあったんです。
記憶の奥に追いやっていたような、消したくても消えてくれないような体験。
思い出した経験を少し。。
①ニヤニヤ集団に話しかけられる
1つ目は、1人であるショッピングセンターに行ったときのこと。
歩いているときに3,4人の20代男性が乗った車が近づいて、窓からわたしに向かって誘い文句を吐き捨てて行きました。
なんと言われたのかは詳しく覚えていないけど、とにかく逃げなければ、と思ったのを覚えています。
直接脅すような言葉でもないし、車は追いかけてこなかったのでその後何も起こらなかった。
だけど明らかにわたしを「性対象」と見て話しかけてきたのはニヤニヤした顔からわかりました。
②外国人からハグを求められる
2つ目は、本屋さんで待ち合わせをしていたときのこと。
前から外国人観光客と見られる男性が歩いてきて、興奮した目つきで腕を大きく開いてきました。
「カワイイです!ハグしていいですか!」
これもまたハグを強制するわけでもなかったけれど、通路を塞がれる形になり隙間から必死に逃げました。
焦っているように見えないように。
あくまでも褒められているのだから、相手の機嫌を損ねないように。
③高身長の同級生から問い詰められる
3つ目は、高校の体育の授業のときのこと。
わたしは当時摂食障害が酷く、体育は見学で過ごしていました。
病気のことは特に他の生徒には知らされていなかったけど、見ればわかるような不健康体型。
興味を持ったらしい高身長の1人が、調べたのであろう摂食障害の知識を交えてわたしの体調がこれに当てはまるでしょう?と質問攻めに。
相手は心配もあっただろうけど、わたしにはどうしても好奇の目にしか見えなかったし、話したことのない高身長の男性に問い詰められて怖かった思い出として残りました。
④コンドームの箱を熟読してしまう
最後は実家を出てパートナーと暮らしていた姉の家でのこと。
1人で遊びに行き、片付け嫌いな姉達に代わって部屋を片付け。
謎の箱の裏面を読むと、コンドームであることが判明して相当なショックを受けました。
でもこれは大事な物のはずだから、見えないところに片付けてはいけないと思って、すぐ手の届くところに置いておくことに。
姉のパートナーの反応は、「ニヤニヤ」。
わたしは正しいと思ったのに、失敗した…と思ったし、本当に気持ち悪かった。
いずれもただそれだけ、だけど、
その後何度もあの景色と恐怖・嫌悪を思い出してはかき消していた体験です。
こんなことはトラウマとは言わないでしょう。
何も起こっていないから。
『私の身体を生きる』にはこのような体験が至る所に書かれていました。
おそらくこのような体験はありふれていて、ほとんどの人がしているのに言わないだけなんだな、気持ち悪いという感情もおかしくないんだな、と感じました。
傷にはならない人もいるけど、
わたしの傷でありAceの要素でもあるかもしれない。
大したことないと言い聞かせてきたけど、私にとっては一大事だったんだよな。
そんな気づきを得た本です。