cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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人の側面はいろいろ

 

全てをわかって欲しいと思う感情、ありますよね?
でも、全てじゃなくていいんだと思う出来事がありました。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

先日、SNSで知り合った方と実際に会う機会がありました。
性格としては「寛容」という言葉がよく似合う方で、
多様性についての意見や葛藤をお話しできました💭

わたしはブログカテゴリーにもあらわれているように、
マイノリティ的な関心や悩みがあったりします。

ブログカテゴリー

日常 / 美容 / 摂食障害 / 脳動静脈奇形


多様性はそれらをひっくるめて受け入れてくれるように感じるので、
そのような話ができるのが嬉しかったです。

 


 

そこでわたしが出した話題のひとつが、
ひとにわかってほしいという思いはありませんか?」という内容。

様々なマイノリティ性を全部わかってくれる人がいてくれたら…
というわがままな思いで寂しくなったりすることがあるからです。

この人にもわかって欲しい と思い、小難しい話をし始めてしまうことがたまにあります。
それをどう柔らかく伝えられるのか、という話だったのですが、
返ってきたのは「それは難しい」という答えでした。

 


 

相手には既に「常識」の認識があり、
そこにマイノリティの感覚を伝えるのは至難の業だと経験でわかっているようでした。

マイノリティは理解されることがほぼなく、
当事者同士でも認識が対立したりするのはよくあることです😣

悲しいけれどそれが現実で、「わかってもらいたい」というのは難しすぎる望みなんでしょう。

 



ただ、「わたしはこういう人なんだ」と、
それだけ伝えれば良いんじゃないかというアドバイスをもらいました💡

その方は実際に「私はこうなの」と言い続けて、
わかっているかはともかく受け入れてくれる友達がたくさんいるそうです。
だから「わかってほしい」と思うことはないのだとか。

確かに「この人はこういう人」と受け入れてくれる人がいればいい気もします。
多様性ってきっとそういうことなんですよね。

わかって欲しい!となるのは
一歩間違えると価値観の押しつけにもなり得るし、慎重にならなければいけないと思います。

 


 

その話を経て、
理解者が欲しい思いもあるものの、今はいろんな人と話してみたいです。

わたしの様々な側面と一部合う人に出会えたら、
その人とはその側面で付き合っていけばいいと思う。

関係が深まれば別の面を話してみるのもいいけど、
全てを話すことが善でもないんだろうと思います。

昔から人の影に隠れるタイプだったので、
会話の経験値が少なく、上手く話せないことも多々あります。

でも、上手く話そうとしなくてもいいですよね🙆‍♀️
会話が楽しいと思える相手を見つけられるといいな、と思います。

人との相性

 

人と仲良くなりたいときに重要視する相性。
何をどう伝えるか、何を共有するか、人それぞれだと実感している今日この頃。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

わたしは人間関係が狭く薄いため、
しばしば孤独感や不安感を覚えます。

自分から行動しようとするエネルギーが若干持てるようになったことで、
人間関係をより豊かにできるように頑張ってみているつもりです。

表面的な付き合いならまだしも、
深い付き合いを求めるならそれなりの自分の気持ちや考えを伝える必要があって、
それはとても難しいことだと実感しています。

 


 

例えば今、
おおまかな人柄を知った上で、辛かった過去を教えてくれた人がいます。
共感するところもあり、もっと知りたい、仲良くなりたいと思います。

だけど質問攻めにするわけにもいかず、
どんな風に距離を縮められるのか図りかねているところです。

自分の考えを伝えることも 実際に顔を合わせることもしていますが、
相手の顔色も窺い、全てを伝えることはできません。

顔色を気にしなくても、言葉で言い表せることには限界があるので不可能なんだとは思うのですが。

伝えたからといって仲良くなれるというものでもないのでしょうが、
仲良くなるってどういうことだっけ?と迷子になる始末です。

 


 

そもそも相手がわたしとの関係をどのように考えているのかも、わかりません。
伝えてくれようとはしているし、受け取った言葉もあります。

それでも、その言葉がどの程度の重みを持っているのか、
どこからどこまでの範囲を言っているのか、
100%本当に思っていることなのか、
わからなくて頭を悩ませてしまいます。

当然ではあるものの、頑張れば仲良くなれるというものではないんですね。

 


 

また別の人とは、同じく何を考えているのかわからない状態ではあるけど、
わからなくていいんだという謎の自信があったりします。

全てを言わなくても、受け入れてくれている感じがするんです。
その人とはその信頼感だけでいい気がします。

とは言いつつ、もっと具体的な話をしたいとか、
どんな人なのかもっと聞きたいとか そういう風に思うこともあって、
欲深いなと呆れる感情もあります。

 


 

それぞれの付き合い方や仲良くなり方を経験している内に、
結局のところ「相性」なんだろうと思うようになっています。

前者は言葉を尽くしてもわからない人であって、だけども互いに向き合おうとするその過程は心地よい関係。
後者はただ時間を共有することが重要であって、上手く話せなくてもいいと思える。その代わり考え方の共有は難しい関係。

前者の関係を後者に近づけようとすることも、
またその逆も不可能なんだと思います。

人が違い、相性が違うから。

 


 

どちらも今後も付き合っていきたいと思える人なので、相性が悪いことはないと思います。

どうしたらより信頼できる関係になるのか、
より心地よい関係になるには何が必要なのか、
よく考えたいと思います。

人付き合いには食が付きもの

 

最近ちょっとした人付き合いというか、人と会ってみようという意欲があるわたし。
そのきっかけと現状を綴ってみます。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

人付き合いと言えるほどのものかわかりませんが、
SNSを使っていたり、マッチングアプリを使い始めたりしているこの頃。
自然と「この人と会ってみようかな」と気楽に腰を上げることができるようになりました。

つまり以前はなかなか人に会わなかった、ということですが、
摂食障害経験者であることが大いに関係しています。

 


 

誰かに「今度遊ぼう」と声をかけるとき、ご飯やカフェに行く話になりますよね。
スポーツなどの趣味のつながりなら「一緒に趣味をやろう」という意味もあると思いますが、「」を含むことも多いのではないでしょうか。

きっと「」で同じ時を過ごしたり、体験することが、重要なコミュニケーションとされているからだと思います。

わかってはいるものの、何においても「」が切っても切り離せないことを恨んでもいました。
摂食障害で食べることを苦手としていたので、
必然的に人間関係が狭く薄っぺらくなっていたんです。

よく孤独を感じていたため人間関係を作りたかったのに
」を抜きにしては難しく、
かつ人見知りでもあり、孤独を極めました。(主観)

 


 

そんなわたしが人付き合いに前向きになったのは、
摂食障害が落ち着いたことが大半の理由だと思っています。
特に外食に覚悟もいらなくなったし、
人前で飲食することに対して抵抗もなくなりました。

」のハードルも下がったことで
人付き合いへの気の重さがずっと減りました。

 


 

でも、困難はあります。人と会うことが増えて気付きました。
「会う」ということへの抵抗はかなり少なくなったものの、
やはり「食べる」ことは苦手なのです。

というと語弊がありますが…
どこかで会って何か食べてお話しでもしない?ということなら気楽。
だけど、
何か美味しいものでも食べに行こう、何が食べたい?だと急に気分が重くなる。

違いは伝わりますでしょうか。
前者はおしゃべりがメインで、食べるのは適当な場所で。というニュアンス。
後者は食事が全面にある口実で、何が食べたいのか決めなければならない。

食べたいものって…?
好きなものって…?
美味しいものって…?
わたしには迷宮入りしてしまう質問なのです。

 


 

もしかしたらどちらの質問も大した差ではないのかもしれません。

どっちにしろアクセスのしやすい場所を選ぶだろうし、
好きなものが食べられそうなところ あるいは 食べられるものがありそうなところ を選ぶでしょう。
なのに全然気分が違うのです。

考えすぎかもしれません。
けれど、考えずにはいられないのは困難だなと思います。

 


 

何が食べたいか聞かれたとき、一番いけない答えだと言われる「なんでもいい」。
それだけは口にしないように気をつけていますが…

苦労して食べたいものを挙げ、
お店を探すのも億劫になり、
こんなことなら会いたくない、と思ってしまうくらいなら
「なんでもいい」を許して欲しい、と切実に思っています。

食べられるようになってもなお 食の悩みは尽きない現状です。

濃いメイクはウケが悪い?

 

メイクについて、わたしの中にある偏見を見つけました。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

マッチングアプリを利用しているのですが、
相性の良いお相手を見つけるため プロフィールに趣味を記載している人が多いです。

わたしも何か書きたいなーと思って思いついた、「メイク」。
異性でメイクに興味のある人は比較的少ないのはわかっているけど、
数少ない大事な趣味なので、記載しておくことにしました。

そこで浮かんだ懸念。
高いコスメ買う浪費家だと思われないかな…
濃くてケバケバしい人だとは思われたくないな…
と不安に思ったんです。

 


 

念には念をということで、
「コスメ好き」ではなく「プチプラコスメ好き」と記載。
ナチュラルメイク」であることも付け加えました。笑

そこまでする必要はない気もしますが、
おそらく自分の中に
デパコスばかり買う人はお金使い荒らそう…だとか、
メイクが濃い人は近づきがたい…ヤンチャそう…とか、
偏見があるんだろうな、ということがはっきりわかりました。

異性ウケが悪いかもしれないことを気にしたのではなく、
自分ウケの悪いほうに誤解されたくなくて、正確に書きたくなったんですよね。

 


 

そんな風に自分のプルフィールを吟味していると、
ほかの人のプロフィールがすごく興味深くなりました。

プロフィールに書くほどの趣味、
特にマイナーなことだと本当に好きなんだろうなと予想したり、
とりあえず面白さをアピールするのが上手いな…と観察したり。笑

本当に些細な言葉遣いひとつで印象が感じ取れるのが面白いです。

アプリ上で恋愛にまでなるほど人柄なんてわかるはずがない、と思っていましたが、結構わかってしまうことに驚きです。

 


 

同時に、会ってみなければわからないことが多いということにも気がつきました。
実際に会ったのはまだわずかですが、
会った瞬間に受ける印象というのは、もうすごいです。笑

アプリでの印象と全く違う!ということはないんですが、
会ってみて初めて得る情報は膨大で、
アプリ上で感じていた印象が極めて確実性が高くなる感覚だったり、
あの印象は誤解だったということが手に取るようにわかったり。

ただ、結局会わないとわからないといって
マッチングしてすぐ会うことはお勧めしませんのでご注意を。

わたし自身も危ない人にあたってしまわないかすごく心配しています。
アプリ上で厳選に厳選をして、きっと大丈夫!という人と会うことにします。
ここは自分の感覚に頼るしかないのですが。

 


 

メイクの話とは少し逸れましたが、
マッチングアプリをしてみると、思ってもみなかったことに気付いたりします。
ときには偏見だったり、ときには自分の大切な芯だったり。
程よい距離で、上手く活用していきたいと思います。

マッチングアプリの話に興味のある方は
以下の記事もお勧めです🤗

恋活(?)と就活

最近、マッチングアプリを始めました。 性別がはっきりと分けられている「アプリの世界」でもやもや…

恋活(?)と就活

 

最近、マッチングアプリを始めました。
性別がはっきりと分けられている「アプリの世界」でもやもや…

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

なんとなくマッチングアプリを始めてみました。
就活してみたり、性的マイノリティのコミュニティに入ってみたり…
人生模索しています!!笑

マッチングアプリにも色々あるみたいですが、
比較的大手で荒れていなさそう(主観)なところを選択。

マッチングアプリ使用の上では目をつむるようにしなければいけないのでしょうが、
やはり性別問題はかなりの違和感です…

※性的マイノリティ(アセクシュアル/ノンセクシュアル)を自認しているわたし目線の感想です。セクシュアリティを選択できるTinderも有名ですが、今回は安全性等を重視してTinderは選びませんでした。
▶Tinderの多様性について詳しく

 


 

※以下、わたしが使用しているマッチングアプリについて。

わたしが感じている違和感はこんな感じ。

自分の性別を確定しなければいけないこと

まず身分証明書が必要で、その記載の性別としてアプリを使用することになります。
社会的には、性別の選択肢として「その他」や「回答しない」を並列するようになってきている中、
男女どちらかの選択に限られるのが違和感でした。

結婚を前提にした利用者も多いアプリなので、それが自然なんでしょうね。
同性婚も可能であれば社会は変わっていくんでしょうかね)

お相手の性別が自動的に異性しか表示されないこと

そのような仕組みなので、
「女性」と登録すれば「男性」とマッチングするように
「男性」と登録すれば「女性」とマッチングするようになっています。

同性のことは見ることもできません。
偏った世界を見ている感じです。
きっと慣れてしまうんだと思いますが。。。

性役割意識が浸透していること

そんな偏った世界で、自分のスタンスをしっかり保つことって
ものすごく難しいなと感じています。

やっぱりマッチングにはある程度の妥協が必要で、
どこまで妥協するかが難しく、かつ大事なところだと思います。

わたしが悩んだのは、
「○○な女の子が 好きです/タイプです」などと書いている人。
一見好印象でしたが、「女の子」と書いているこの一点が引っ掛かりました…

結局話してみることにしましたが、もやもやは引きずっていて
あまり上手くはいかなさそうです。

そうでなくても、「女の子扱い」されている感じが心地悪いです。
わたしとしては「人」対「人」のお付き合いがしたいのに…

 


 

この噛み合わなさ、就活に似ていると感じました。

就活では、「正社員」が当たり前とされている感じ。
マッチングアプリでは「結婚」が当たり前、ゴール、という感じです。

わたしはどれも「そこそこ」を目指しているというか、
無理しない自分に合ったところを模索したい意欲はあるのですが、
ゴールを決めてしまいたくはないと思っています。

とりあえずの目標として
アルバイトで週4程度働きたいと思っているし、
人としてのパートナーを探しはじめようとしている。
(恋じゃなくて安心を求めている)
それだけなんですけど…

なかなか理解されないし、
就活してるならもちろん正社員目指しているんでしょう?
マッチングアプリしてるなら結婚前提がなんでしょう?
という圧力とたたかわなければいけません。辛い。笑

 


 

皆そんなに画一的でなくていいんですよーーー!と叫びたい!

わたしが異色に見られたくないだけなんですが…
生き方の多様性を認められない(外れると未熟と思われるような)社会は息苦しいなぁとつくづく思います。

地道に自分の道を模索するほかないですね。
同じような葛藤を抱える方、1人じゃないと思ってもらえると嬉しいです。

なんでこんなに食べてるの

 

日常でふと思ってしまうことがあります。
なんでこんなに食べてるんだろうと。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

とうとう夏本番ですね。
暑くなって、食欲に対して曖昧さを感じるようになりました。

というのは、食欲が湧かない というより
お腹が空いているのか空いていないのかわからない
という感覚が近いような気がするのです。

食べてみたら割と食べられる、というときもあれば
お腹空いていない気がするけど一応食べる、というときもあります。

食べないことは、イコール拒食症の辛い日々に戻る気がして怖いので、
そもそも選択肢にはありません。

でもそうすると、お腹が空いていないのに食べる状況で、
なんでこんなに食べるんだろう、と思いながら食べていることに気付きました。

 


 

何度も経験したことがある感覚です。

1度目は拒食症になる直前のこと。
そのときも食欲があまりなくて、もう食べなくても良さそう、
という考え方になっていました。
食べる意味がわからなかったし、痩せるチャンスだとも思っていました。

そして拒食症から脱しようと奮闘していたとき。
このとき食べる意味とは、体調を整えるためです。
痩せ細ってしまっていたなかで食べる意味は明確だったものの、
お腹が空かないのに食べなければいけないのは辛いものでした。

そして今。
夏バテであろうことは理解しているのですが、
またこんなに…と思ってしまうことにも罪悪感があったり。
アイスは食べるし辛いほどではないんですけどね~

 


 

この食べることに対しての悶々とした感情は、
やはり1日3回あると思うとしんどさがあります。

でも、これを感じると、
「あ、食欲あったんだな」
(体が正常だったんだな)
と感じます。

異常にならないと正常さの有り難さは
本当に忘れてしまうものです。

就活は自立なのか

 

最近、新しい仕事を探し始めました。
実家暮らしでお金のことは両親に頼っているし、
経済的には自立できていないと思っています。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

就活を始めたところで、
SNSで知り合った方とお話しする機会がありました。

そこで話題に出たのは
「パートナーとしては自立できていない人は無理」という話。

2人で生きていくことを見据えるならば、
現実的で納得できる話でした。

 


 

一方、経済的に自立しているとは言えない現状にあるわたしとしては、耳が痛い話。

もう少し「自立」の意味を聞いてみようと思い、
「わたしは今、経済的には自立しているとは言えないんだけど…」
と話し始めると、全力でフォローされました。笑

そこで出てきた理論が、
「就活しているから、自立してないなんて思ってない!」

特にフォローを求めたかったり、
自立していない自分を卑下するつもりではなかった身としては、
どういうこと??と疑問が残る感じ…

 


 

ちなみにわたしが言いたかったのはどういうことかというと、

「自立」にも色々な種類があると思っていて、
経済的自立はできていなくても、
自分のことは自分でなんとかしたり人を頼ったりするマネージメント的な自立はできてきていると思っている、
というようなことでした。

そこから「自立」とは何を意味するのか
議論できるといいなという思いだったのですが、
議論を深めることなくもやもやした終わり方に。

 


 

就活=将来的に経済的自立を見込める活動
という解釈なんだろうな、と思い返していますが、
結局はお金なんだな、というところに行き着いて、
生きる難しさを感じています…。