全てをわかって欲しいと思う感情、ありますよね?
でも、全てじゃなくていいんだと思う出来事がありました。
先日、SNSで知り合った方と実際に会う機会がありました。
性格としては「寛容」という言葉がよく似合う方で、
多様性についての意見や葛藤をお話しできました💭
わたしはブログカテゴリーにもあらわれているように、
マイノリティ的な関心や悩みがあったりします。
多様性はそれらをひっくるめて受け入れてくれるように感じるので、
そのような話ができるのが嬉しかったです。
そこでわたしが出した話題のひとつが、
「ひとにわかってほしいという思いはありませんか?」という内容。
様々なマイノリティ性を全部わかってくれる人がいてくれたら…
というわがままな思いで寂しくなったりすることがあるからです。
この人にもわかって欲しい と思い、小難しい話をし始めてしまうことがたまにあります。
それをどう柔らかく伝えられるのか、という話だったのですが、
返ってきたのは「それは難しい」という答えでした。
相手には既に「常識」の認識があり、
そこにマイノリティの感覚を伝えるのは至難の業だと経験でわかっているようでした。
マイノリティは理解されることがほぼなく、
当事者同士でも認識が対立したりするのはよくあることです😣
悲しいけれどそれが現実で、「わかってもらいたい」というのは難しすぎる望みなんでしょう。
ただ、「わたしはこういう人なんだ」と、
それだけ伝えれば良いんじゃないかというアドバイスをもらいました💡
その方は実際に「私はこうなの」と言い続けて、
わかっているかはともかく、受け入れてくれる友達がたくさんいるそうです。
だから「わかってほしい」と思うことはないのだとか。
確かに「この人はこういう人」と受け入れてくれる人がいればいい気もします。
多様性ってきっとそういうことなんですよね。
わかって欲しい!となるのは
一歩間違えると価値観の押しつけにもなり得るし、慎重にならなければいけないと思います。
その話を経て、
理解者が欲しい思いもあるものの、今はいろんな人と話してみたいです。
わたしの様々な側面と一部合う人に出会えたら、
その人とはその側面で付き合っていけばいいと思う。
関係が深まれば別の面を話してみるのもいいけど、
全てを話すことが善でもないんだろうと思います。
昔から人の影に隠れるタイプだったので、
会話の経験値が少なく、上手く話せないことも多々あります。
でも、上手く話そうとしなくてもいいですよね🙆♀️
会話が楽しいと思える相手を見つけられるといいな、と思います。