cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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普通に食べれているかも

 

いつの間にやら、普通に食べられているかもしれない…と思ってきました。
以前のことも振り返りながら現状を綴ってみます。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


わたしが高校生のときには、
全く「普通」に食べられていませんでした。

食行動に関してはあまり具体的なことを書いてこなかったのですが、
それは、「普通」が何かわからなくなっていたからです。

このブログを見てくれる人が、具体的で異常な話を読んで苦痛を感じるのも嫌だったし。

でも、最近になってふとしたときに
「普通に食べられるようになっているかも」と思うようになりました。

今なら「普通」の感覚を取り戻している気がするので、
これを機に、「食べられない」から「普通に食べられる」ようになった状態を記してみようと思います。

 


 

まず、「普通に食べられる」ようになったと書きましたが、
「食べられない」状態から一気に「普通に食べられる」ようになったわけではありません。

「食べられるけど違和感がある」状態が随分長かった気がしています。

今、過去の経験を振り返って思うのは、
「食べる」という行為がものすごく複雑で、難しいことだということです。


食べられない

上の表のように、口に物を入れることでさえ拒否感があって、「おいしい」なんて考えられない
というのがわたしにとって最悪の時期でした。

意外なことかもしれませんが、
そんな時期でもわたしの場合は1日3食食べていました。

当然生きるためのエネルギー・栄養としては圧倒的に不足していましたが、何かしらは…

食べられるけど違和感がある

何がきっかけとなったかは不明ですが、
あるときから口に物を入れることへの抵抗感は少なくなりました。

ゼロとは決して言えませんが、食べることの労力が減った実感はありました。

ただ「おいしい」が伴うにはカロリーが不安で、
カロリー表示を見ないと食べるものを買えないときが長かったです。

徐々に、
「カロリーに左右されることはないけれど、一応見ないと気が済まない」
という感じに。

カロリーを把握していて、かつおいしさを感じていても「おいしい」と言うのは躊躇われるときもありました。

普通に食べられる

そして今。
偏食は若干あるものの、食べることに抵抗はなくなり、
自然と「おいしい」と言えています。

わたしも家族も困ってはいません。

もしかしたら「普通」ではないのかもしれない。
いかにもなジャンクフードは避けているし。

でも、「普通かも」と思えるほど、
以前と比べて食べるのが楽で、悪ではなくなっているのは事実です。

 


 

食べられるようになったことによって、人付き合いのハードルがぐんと下がりました。

交友関係が広がったというわけではないのですが。笑
行動を食べ物に振り回されることがなくなって幸せです。

食べられなかった当時も
人付き合いの難しさはヒシヒシと感じていましたが、
「それでいい、ニンゲンコワイ」という心情でした。

今純粋に人との交流に幸せを感じるのは、
精神的な安定もそこそこあるからだと思います。

嫌なことがあったとしても言い返したり逃げる体力もあるし、
食べるものだってなんとかなる。

幸せを感じるには、そういうちょっとした余裕が必要だったんだな~と思っています。