cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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「自分のため」が「人のため」に自動変換される謎

 

わたしが、「働く」ということに対して持っている疑問や違和感について書いていきます。

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。あまり表に出さない視点・思考をブログで放出中。

わたしは今、自分のため・・・・・に働くことを模索しています。
というのは、大多数の人が自分を犠牲にして働いているように見えて、息苦しいから。
(できれば働きたくないというのが本音ですが……)

わたしは気楽に生きることを大事にしたいので、人生の主を「労働」にはしたくないし、できない。

できない、というのはわたしが病のリスクを負っているからでもありますが、「労働」を主にしたくないという思いは理解が得られるのでは、と思います。

 

それなのに、自分のため・・・・・となると素直に受け止めてくれる人が少なく感じています。

 

わたしは大学で福祉を学んでいたのですが、福祉となるとなおさら。
福祉=人のために尽くす仕事
との認識が強すぎるのか、
「福祉」の場で 自分のため・・・・・に働く、という意味がわからないようなのです。

 


 

福祉を学ぶことは、わたしにとって自分を癒やすことに繋がりました。
誰にだって生きる権利はあって、その人であることに価値がある。
ならば わたしもわたしでいいんだ、と。
もちろんすぐにそう思えたわけではなくて、大学4年間をかけてじっくりと染みついた感じです。

 

次第に
経験した病は苦しいが、苦しいままにしたくない、苦しさを昇華させるために福祉に関わる仕事をしたい。
と思うようになりました。

 

ここには人のため・・・・・という意思は全くありません。
純粋に自分のため・・・・・です。
批判もあるかもしれませんが、わたしはそんな生き方を目指しています。
目指すというと大げさかな…憧れています。

 


 

ところが、面接に行ってどんなに説明してもこの意思は全く伝わらない。
「福祉関係ってことは、人のために働きたいんだね。」と勝手に解釈されてしまう。
どういうこと?

実は、今のバイト先の幹部も未だに理解していないようです。
もちろん採用面接の際も説明したのですが、
「持病の経験を生かして、今度は自分が人を支えたい」
というように理解されているようで、何度訂正しても そのキラキラしたフィルターはびくともしません。
困ったもんだ。

ちょっと誤解を生みそうなので補足しておくと、2021年4月現在 転職活動中で、今のバイト先は福祉系ではありません。
バイト先でいつか福祉系に…と話している、ということです。

 


 

わたしは、仕事を生きがいにする人を非難するつもりはありません。
ただ、仕事を生きがいにする人もいれば、他の趣味や興味を優先する人がいてもいい。
生きたいように生きたい。
そんな働き方じゃ満足な生活ができない、と思われる方がいるかもしれませんし、わたしもまさにその狭間で もがいています。
でもそれは、仕事以外に重きを置く生活が贅沢なのでは無くて、今の労働のしくみが多様な暮らしに合わない非現実的なものなのだと思います。

今はひっそりと、ベーシックインカムを待ち望んでいます。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
ただのぼやきでしたが、良かったらあなたはどのように生きたいか、コメントで教えてください。