わたしは、脳動静脈奇形がありました。あまり聞き慣れない病名です。
わたしなりの解釈を紹介しているので、参考程度に覗いてみてください。
脳動静脈奇形とは…といっても、実は全然よくわかりません。
医学的に判明していないとか、そういうわけではなくて 単にわたしの知識が乏しいのです。
『摂食障害とは【自己解釈】』の記事では、簡単に医学的定義などを書いているのですが、わたしの大学時代の卒業論文が摂食障害に関するものだったということで、ある程度書くことができました。
ですが、申し訳ないのですが 脳や血管の構造といわれても難しすぎて。そのへんは主治医などにとことん聞くのをおすすめします。
わたしの少ない知識で説明すると、脳の動脈と静脈は、通常 毛細血管を介して繋がっているそうです。
一方、脳動静脈奇形といわれる場合は、動脈と静脈が生まれつき直接繋がっている。ただそれだけです。
構造上の問題なので、てんかんや脳出血が起こらない限りは健康。一度起こったとしても、後遺症がない場合は今まで通り変わりなく生活できます。
※ わたしの経験であって、個人差があり必ずしもそう言えないケースもあるかもしれません。
(てんかんや脳出血が起こるメカニズムは調べてみてくださいm(_ _)m)
つまり、リスクがちょっと高い。だけ。
奇形なんてない人でも、てんかん・脳出血 のリスクは多少ありますからね。
わたしの認識としては、そんな感じです。
ここからは「わたしの脳動静脈奇形」の経験に触れつつ、病気の捉え方を紹介します。
まず、脳動静脈奇形が発覚したのは中学2年生のとき。
学校の休み時間に倒れ、病院で診断されました。症状は人生で初めて。
このとき倒れたのは、たぶんてんかん発作のためです。記憶がないのでたぶんなのですが、後から聞いたところによると出血の跡が若干あるそうなので、このときに脳出血があったのかもしれません。
手術もせず なにひとつ後遺症がないので、軽度だったんだろうと思われます。
ただ、わたしは1度目に倒れた後も、何度も発作を起こしたり 気分が悪くなったりしました。
先程「今まで通り生活」できる、と書いたのですが、それは表面上だけかもしれません。「気持ち」は今まで通りじゃなくなりました。
発作が来るんじゃないかという恐怖、周りの人に迷惑・心配をかけている申し訳なさ。
同様に、周囲の人たちの気持ちも変わったと思います。わたし自身はわたしのてんかん発作を見たことがありませんが、発作を見る側としては 予測できない発作に怖さがあるだろうと思います。
何気ない日常でも、関わる態度に困ったんじゃないかな。
それでもあたたかく見守ってくれていたみんなには感謝しています。もちろん家族にも。
発作をコントロールしきれない間は、本人も周囲も振り回される。
でも、抗てんかん薬を服用してコントロールできるようになると、きっと「てんかんなんてあるの?」というくらいわからなくなると思います。
今のわたしがその状態。言わなきゃわからん。
でもわたしは怖いです。
てんかん発作が来ると、自分が自分でなくなる感覚になるから。意識がなくなれば恐怖もないけど、わたしの場合は抗てんかん薬を飲んでいると 意識が飛ぶほどにはならなくて、しかも周りからも普通に見えて、自分だけぐるぐる目が回る感じ。
今では1年に1回もないほどですが。
こんな状態なので 隠そうと思えば簡単に隠せますが、万が一何かあったら、と思って 「てんかんがある」と学校にもバイト先にもあらかじめ伝えてきました。
友達には助けて欲しい人にだけ伝える。
いつになったらこの恐怖から解放されるかわかりません。
脳動静脈奇形 自体には治療法があって、わたしも「ガンマナイフ」という治療法で「寛解(完治)」ということになっています。
てんかんが手強くて、精神的にじわじわ追い詰められていた気がします。
はじめはそんなこと思ってなかったんだけどな…。
だから、わたしのこの病気の捉え方は、いつも頭の片隅に潜んでるヤツ。物理的にも、精神的にも。
精神的には病気ってなんでもそうかもしれないですね。
特に脳動静脈奇形は、それほど名の知れていない病だし、「脳」というだけで身構えてしまう感じがあります。
なんの解決にもなりませんが、このブログを通してそんな風に生きづらさを抱える人がいるということを知ってもらえると 生きづらさが軽減される気がします。
これからも脳動静脈奇形に関する記事を書いていきます。今回はわたしの病状も多く書きましたが、経験から思っていることを中心にするつもりです。
また、わたしの別の持病「摂食障害」についても書いていますが、きっと生きづらさには通じるものがあるかと思います。わたしはひとりなので。
わたしが思っていたこと・思っていることに関心があれば、ぜひ引き続きよろしくお願いします。