cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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切り刻んで食べる理由

 

摂食障害のうち、少食/低体重 が問題となる拒食症(精神性やせ症)。
体重低下とともに「食べ物を切り刻んで食べる」という特徴があれば、拒食症を疑う必要がある、というように言われます。
切り刻む、ひとくちが小さい理由として考えられるものを挙げてみました。

 

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


「切り刻み」は拒食症の特徴だとは言われますが、なぜこのような行動になるのか、という説明は見かけたことがないように思います。
疑問に思ってササッと検索したりもしてみましたが、ぴったりくるものは見つけられませんでした。

経験者であるわたしでさえ疑問を持つことなのだから、未経験の人はかなり理解に苦しむのでは…?
ということで、ここではわたし個人の持論を書いてみたいと思います。

 


 

まず前提として、「切り刻み」の経験を振り返ります。

わたしが症状に苦しんだとき、確かに 食べ物はなんでも小さめに切り分けてから口に運んでいました。
でも、正直切り刻んでいたという意識はそんなになく、ひとくちが小さい、という方がわたしの場合にはあっていると思います。

ともかく、そんな食べ方が当時はおかしな行動とは思いもせず、それがなぜ摂食障害の特徴であると指摘されなければならないのかと反発心を抱いたことも事実です。

また どうして切り刻むのか、そんなにひとくちが小さいのか、と聞かれても、そのころは答えられなかったかもしれません。

一方落ち着いている今振り返ってみると、あの行動は過剰だったかもしれない、と思っています。

 


 

ここからは、後付け的にはなりますが、今現在思う「切り刻み」「ひとくちの小ささ」の理由を考えていきます。
あくまでもわたしの場合であって、当事者すべてに当てはまることではありません。

 

  1. とにかく抵抗感があったから

    まず、わたしにとって口に異物を入れることが 不安で恐怖で許しがたいことでした。
    それでも頭では食べなければいけないことがわかっているので、食卓について箸を持つ。
    食べたくない⇔食べるしかない の狭間で、どうにか 食べる が上回った結果 ひとくちは小さくても食べることができていた、という感じ。

    つまり精神的な抵抗感が、ひとくちの小ささという行動で現れていたということになりますかね。

    これはおそらく想像することができるのではないでしょうか。


  2. 「食べる」決断に時間を要したから

    そして2つ目。ひとくち食べるごとに、食べ物を摂取する覚悟が必要でした。
    食べることが恐怖ですから、その恐怖に打ち勝つ必要があるのです。

    また その時間の間、ただただ食べ物に向かい合うだけでもいいのですが、人と食卓を囲む場合はそういうわけにもいかない気がします。

    奇妙に思われるんじゃないか、手が止まっていると指摘されるんじゃないか、そういう不安が自らを追い込む。
    決断の時間と周囲の目の不安をなんとかしのぐために、食べ物を切り刻む時間を利用していた、といってもいいように思います。


  3. 食事のバランスを考えてしまうから

    もう1つ考えられるのは、食事のバランス。
    ほんのちょっとしか食べないのに、バランスなんてあるか、と今では思えますが、わたしの場合はすごーく考えていました。

    症状に悩まされる以前から、バランスには気を遣っていた方ではあります。
    なぜかといえば答えは明確で、「正しい」から。
    食事に限らず、「正しい」ことをすることが全てのように生きていました。

    時間がなくても宿題はやるのが「正しい」。
    何が何でも早寝早起きは「正しい」。
    バランスよく食べることが「正しい」。
    太ることはよくない=体型維持 or 減量 が「正しい」。

    極端ではありますが、そんな思考になってしまった結果バランスよく少食であることを求めてしまったように感じます。
    少食なのにバランスを考えると、ちょっとずつ食べるしかないのです。
    (なぜ「正しい」に固執してしまうのか、それは永遠の謎。そして、それこそが摂食障害の大きな特徴のひとつである気もする。)


  4. 「噛む」ことが疲れるから

    最後は、「噛む」について。
    当時はそこそこ食べているつもりではありましたが、やはり十分ではなく、体力も筋力も衰えていきました。

    アゴの筋力まで低下し、硬いものはアゴが痛くなり食べられない状況が続きました。
    硬いといっても通常では特に力の必要性を意識しない、ごぼうリンゴ食パンの耳 までも避けていたほどです。

    こんな状態なので、単純にアゴの負担を少しでも軽減するために切り刻んでいた、という理由もあると思います。

    そして、わたしにとって 食べる=噛む という認識に近く、噛むことを極端に嫌っていた面もあります。
    噛むことが嫌だから、できるだけ噛まなくてもいいように小さく取る。
    そんな理由もあったはず。

    (ちなみに、試行錯誤して冷凍の柔らかい介護食を食べていたころもあります。なんだかすごい技術が使われているらしく、柔らかいのに見た目は介護食とはわからない。お悩みの方はぜひ。)

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いまわたしが思いつく理由はこれくらいでしょうか。
きっとこれ全部に当てはまるのはわたししかいません。
全く逆の理由なのにオモテで見えている行動は同じ、という場合もあるんだと思います。

だからこれがなんの役に立つかわからないけど、とりあえずわたしのもやもやは少し晴れました。
今回は結構はっきり言語化できたんじゃないかな。

摂食障害に関して思うのは、訳のわからないことばかりなのです。
大雑把に言うと自分がなんなのかわからなくなる。

真実はあるのかもわからないけど、今少しずつ整理することでちょっとずつ前に進めている感覚があります。

抽象的すぎてすみません😅
一気に明快な理解ができないからこそ、今回のようにひとつのことについて言語化してみる、という思考が身になっていると感じます。

これからもほんのちょっとずつ消化していけるといいな。