cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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「オープン」で病気を語る

 

前回、オープン/クローズについてわたしなりの思いを書き綴りました。
あの言葉に嘘はないけれど、やはりオープンの辛さもある…というお話しをしたいと思います。

 

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

まずは前回の記事を読んで頂きたいので、まだ読んでいない方はこちらからぜひ。↓

オープン/クローズについて

オープン/クローズ の選択 - cotton の 目

病気などについて、「オープンにする」「クローズにする」という言い方があります。 聞いたことはあるでしょうか。 どういうことなのか、また、わたしがどう捉えているのかをまとめてみました。

まとめると、「わたしは基本、言いたくててんかんをオープンにして生きているけど、どっちでもないときもある」という感じ。

言いたくて。これを前の記事では、ポジティブなイメージで使っていました。
言っておけば万一の時に助けを求められるから、言う必要があると思っている。

ただし、今までの経験を振り返ってみると、他者に伝えたところ悲惨な結果になったこともありました。

今回はこの、持病の「オープン」によるネガティブな側面を書いていこうと思います。

 


 

まずわたしが「オープン」にする3つの状況をお話しします。

  1. 自分自身の状態も分かっていないままに他者に伝える場面
    これは、この病気とはどんなものか、自分の症状がどんなものか、とりあえず自分の全ての知識をそのまま他者に伝えたものです。
    具体的には、「生まれつきらしいんだけど、脳のココらへんにある動脈と静脈が絡まり合っててね、血液が上手くいかなくなって発作が出てるみたいなの。」という具合。

  2. てんかんによる苦しさを、ふと打ち明ける場面
    苦しみの開示というか、病気の愚痴ですね。
    わたしの場合、病気があることは伝えるけれども、具体的な困難や苦しさを他者に伝えることはほとんどありません。
    ですが、自分でいっぱいいっぱいになって、言わなければ気が済まない、というような状況になることがまれにあります。

  3. 建設的に病気について説明する場面
    そして、就活時に延々とやったのがこちら。
    簡潔に、過不足なく持病を伝える。感情は一切入れずに事実関係を伝える。
    てんかんという持病があります。一般的には、発作が起こって倒れたり意識を失ったりすることのある病気です。わたしの場合は薬の服用で発作がある程度コントロールできていて、発作は一年に一度あるかないか、傍目ではわからない程度の軽いものです。」

こんな風に、「オープン」にする場面が分けられるかな、と思います。

 


 

現在は主に3.の説明が多いですが、1.2.については痛い記憶があるので綴っていきますね。

痛い記憶&今の認識

  1. 自分自身の状態も分かっていないままに他者に伝える(脳動静脈奇形)

    病気発覚直後にかなり頻繁にやっていましたが、自分でも咀嚼しきれていないものを他者にぶつける。今考えると、「暴力的」だったんじゃないかと少し反省してしまう出来事です。
    「暴力的」というのは、他者にしてみれば 理解不可能な言葉を突然言われるから防御もできず、やり返すこともなだめることもできない、苦痛だっただろうということです。

    とはいえ、わたしが病気について咀嚼して腹落ちするには時間が必要で、当時できることはそれしかなかったのだから仕方がないとも思います。

    あと、家族など 全てを伝える必要があることもありますから、これ自体が悪いわけではありません。

    わたしの場合は、心配してくれる人にちゃんと伝えなければ!というある種の正義感が空回りしてしまっていたように感じます。
    結果、周囲の人はあまりわたしの病気に触れないようにしよう、となったような。

    じゃあどうしたら良かったのか。大丈夫だよと言っていれば良かったのか、薬で調整するみたい、と未来のことを伝えれば良かったのか、答えはわかりません。


  2. てんかんによる苦しさを、ふと打ち明ける

    こちらは他者との関係にヒビが入ってしまったのではないかと気にかかっている行為。最近も やってしまいます。

    特に、「言いたくて」ではあるけれど、ポジティブではなくネガティブな意味を持つ方だと思っているのがこれ。

    病気は何でもストレスの原因になり得ると思います。
    自分ではどうしようもできないことがあって、上手く付き合おうと思ってもやっぱり我慢できないこともある。

    もう辛い!ってなったときに、心許せる友人にあふれるままに伝えてしまったりするんですよね。
    全然言う気がなかったのになんか言っちゃってる、という状況もあったりして、コントロールはできない。

    相手も相手で構えてないから、話は聞いてくれるけれども困ってるんだなって感じたり。
    慌てて「そんなに深刻じゃないんだけどね」って自分でフォローする、みたいなひねくれた何が何だかわからない状況も何度も経験しました。

    わかってもらえますかね…

    愚痴を言うのって結構大変で、前提条件を共有していないと愚痴を理解してもらえないからこの病気とはなんぞや、から説明しないといけなくて、ここで言う1.も入ってきたりします。

    だから余計に相手にはストレスになっているんじゃないかな、と気にかかります。
    実際愚痴を聞いてくれた人とは、今は疎遠になっています。
    学生時代のことだから、この愚痴だけが原因ではないことは理解しているけれど、一因ではあるのではないかと。

    そうなると、自助グループの意義がここにあるんだろうなと思います。
    経験を共有しているから、一から説明する必要がなくて、感情だけをちゃんと愚痴れるというか。

 


 

ここまで、だらだらと病気を語る愚痴を書いてきました。
言いたかったことは、病気って何でも重いし、その重さを他者にわかってもらうのは難しいよね、ということ。

脳動静脈奇形(てんかん)に限って書いてみましたが、摂食障害も同じ、あらゆる病気で悩むことではないでしょうか。

まぁわかってもらうっていうスタンスに無理があって、とりあえず話聞いて!って感じではあるのですが、相手も同じように考えてくれるかは難しいところがあります。

しかし言っておきたいのは、「愚痴を言わない」のが良いことではないということ。
愚痴ったから関係が…と言ってしまったので、ネガティブイメージになってしまったかもしれませんが、安全な環境で愚痴るのはわたしにとって大きなプラスです。

母にはほとんどのことを愚痴ったり、疑問に思うことを聞いてもらったりして、すっきりした経験が数多くあります。
もっと依存先増やした方が良いな、とは思いますが…

今、対話企画を募集していて、もやもやを共有できればいいなと思っているのでよかったら活用してください。
わたしなりに安全な環境をつくってみたつもりです。

ということで、今回はこのへんで。
病気について語りまくっているブログですが、今後もリアルには話しにくい話題を綴っていきます。