cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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怒りと「常識」と人生

 

イライラとの付き合い方、どうしてますか?
わたしは特に仕事のことで、「なんでこうしてくれないの!」と心の中で怒ることが多くなりました。
そんなときに思い出す言葉があります。

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


わたしが怒りを感じたとき、①まずひと通り人に聞いてもらいます。主に母。

すると聞き手から予想もしていなかった返事が返ってきたり、より視野の広い意見を聞いたりすることで怒りも収まってくるように感じています。

もちろん収まらない怒りもあります。
そんなときは、②怒りの発生源の人に対して、個人の意見を伝えます。これはわたしの場合は、メールなどのテキストが多いです。

もしかしたら、面と向かって言わないとズルいとか、そんな風に思う人もいるだろうとは思います。
ただ どうも頭の回転が遅くて、対面で話すとあれもこれも言い忘れた とか、ちゃんと意図のニュアンスを伝えられなかった とか、失敗することが多いのです。

テキストであれば送信前に確認ができるし、伝えずに一人悶々とするよりはずっと言いと思うので、わたしのできる最善策として選んでいるつもりです。

 


 

ここまでやるとスッと心が軽くなりますね。

落ち着くと思い出す言葉が、
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。
です。(下のリンク先とは若干訳が違いますが、わたしはこっちで覚えています。)

もっとアインシュタイン:100分 de 名著


アインシュタインの言葉らしいのですが、なんだかグサッとくるんですよね。
常識って平たい言葉で言うと「普通」。
怒ってるときって、「普通こうやるでしょ?!」とか言いがち、思いがちじゃないですか?

でも落ち着いて考えると、わたしの「普通」と相手の「普通」が同じなわけはない。
わたしが歪んだ「普通」を抱いているのかもしれないし、相手もまたそうで、誤解のないようにお互いに丁寧に歩み寄っていく必要があるんだと思います。

いわゆる「多様性」なんですが、大切にしたいと思いつつ、凝り固まってしまった自分の「普通」がなかなか崩せないことに苦悩します。

そもそも「普通」って何だ?という話にもなるけど、とにかくわからないから置いときますね。笑

 


 

わたしの理想は、常に自分と他者は違うと意識すること。
考え方も生き方も違うのが当たり前だと、認めること。受入れること。

今はその域には達せなくて、とりあえず怒っちゃう。
で、怒りが収まってから、まぁ意見違うの伝わったから良いか。で終わる。

そんなことを繰り返しています。

 


 

ここでちょっと話が変わりますが、わたしの過去を振り返ってみます。
実はちょっと前まであんまり怒りを感じなかったと思うんです。

最近は母に「よく怒ってるね」と言われるくらい頻繁に怒りがわくのですが、前は怒りって何?みたいな感じでした。

怒りに限らず、自分の感情を捉えるのがすっごく苦手でした。
今楽しいのか嬉しいのか、悲しいのか。
どれ?と聞かれてもどれだろうね、という感じで。

でも、決して穏やかだったわけではなく必死に自分を押し殺していたんだと感じます。
他の誰かが傷つかないように。

聞こえは良いけど、他の人のためにそうしたいのではなくて、自分を評価して欲しくて、いわゆる「良い子」を演じることが全てだったように感じています。
実は自分をも意義を感じられない生き方だったんですけど。

だから、わたしにとって「怒り」を感じられることは、「自分を生きていること」です。
そう捉えると、「怒れる」って幸せだなーと思います。

 


 

感情については、「泣く」について記事を書いたことがあります。
こちらもぜひ読んでみてください。

涙についての記事

「泣く」とはどういうことなのか - cotton の 目

突然ですが、最近涙を流したことはありますか? わたしはこの間、久しぶりに泣きました。 そのことで思い出したことがあったので、書き留めておこうと思います。