cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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病を打ち明けたときの反応

 

健康について人に尋ねるのはタブー的な空気。
ごめんねって言われるのはダメージ…。

 

 

かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。


健康に関して、色々と説明しなければいけない場面があります。
わたしの場合よくあるのは、「運転免許を持っていない理由」を言わなければいけないときなどです。

変にごまかすとどちらももやっとした気持ちになるので、
正直に「持病がありまして、運転するのが怖いから取っていないんです。」
と説明します。
(「てんかん」の持病で免許取得を自制中。)

その反応として一番多いのが「そうだったんだ、ごめんね。

この反応にいつも傷つきます。
何回聞いても慣れません。

いや、聞き慣れてはいるけど、気持ちが沈みます。

 


 

わたしにとっては持病は日常で、
当たり前のものになっています。

なのに、この「ごめんね」のひとことで、腫れ物に変わる。

わたしはただ現状を説明したにすぎないと思っているにも関わらず、
触れてはいけないものとして扱われるのは、結構しんどいものがあります。

隠さなければいけないもの、という意識にもなって、
誰にも相談できなくなる孤独感も生まれたり。

 


 

でも、わかるんですよね。
「ごめんね」と言ってしまう側の気持ちも。

本人にとっては持病は日常であったとしても、
打ち明けられるとどう受け止めれば良いかわからないから。

傷つけないように、
これ以上聞かないで済むワードを使ってしまうんですよね。

ごめんって、謝罪のワードでもあるかもしれないけど、
聞きたくない、もう勘弁、みたいな意味も込められてる気がします。

 


 

だけど、打ち明けるのは理由があると知って欲しい。

何か隠し事をしているような、そんな罪悪感を軽減したい。
何かあったときに知ってくれていた方が安心。
きちんと説明して知って欲しいことがある。

そういう事情があるのです。
言わなくて済むのなら、言いません。

「ごめん」でシャッターを閉められるために言うことはないです。

「そうなんだ」でいいから、
ただただ受け止めて欲しいだけなんです。

「ごめんね」でなんとも思わない人もいるだろうけど、
嫌な思いをしている人も、ここにはいます。