自分の恋愛指向に関して、「どうして…」と思うこと。
やはり自分の意思ではどうにもできないことだなぁと実感しています。
たびたびこのブログにも書いていますが、
わたしはノンセクシュアル(アセクシュアル)というセクシュアリティを自認しています。▶詳細
ごく簡単に説明すると、
恋愛感情はあるものの、性的欲求が人に向かないことです。
この部分で言えば、「マイノリティ」に当たるわけですが、
わたしは女性として生まれ、
自分を女性と認識し、
恋愛感情で好きになった人は男性。
つまり、性自認も恋愛指向も「マジョリティ」側に当たります。
ノンセクシュアルを自認したことをきっかけに、
以前よりも性的マイノリティについての関心が高くなった現在、
様々な恋愛指向を知りました。
恋愛的に好きになる性がない、アロマンティック。
女性が女性を好きになる、レズビアン。
男性が男性を好きになる、ゲイ。
男女どちらも好きになり得る、バイセクシュアル。
全ての性を好きになり得る、パンセクシュアル。
などなど。
様々な性別があることは理解しているし、
性別で差別されることに拒否感はあります。
その意味で言うと、パンセクシュアルが一番「人類皆平等」的な思考に準じている気がして、とてもシンプルで綺麗な感じがするのです。
本来、セクシュアリティは良い悪いと評価するものではないですが、
あくまでもわたしの感覚ではそう感じるという意味です。
わたしが好きになる人はいつも男性で、
心のどこかで区別しているんだなということが、少し悲しく思うことがあります。
差別とはまた違いますが、性別を取っ払って相手を見ることができていないんじゃないかと思います。
恋愛感情ではない「好き」であれば、性別関係ないと思えるのに。
きっとそれが恋愛指向というもので、
どうにも抗えないものなんでしょうね。
そういえば以前、友人に恋愛指向に関して説明したことがありました。
LGBTを話題に出したときに、
「ゲイの友達いるんだけど、治らないものなのかなぁ」と言われたときのこと。
友人は異性愛者の男性だったので、
「あなたは女の子を好きになるでしょ?
男の人を好きになれると思う?」
と問いかけてみたら、
首を振り、目を丸くして、
「あぁ…なるほどそういうことか。」と。
抗えなさに納得したようでした。
その場では友人に上手く説明できたものの、
今になって恋愛指向の抗えなさを実感しているということは、
当時わたし自身は自分ごととして捉えられていなかったんでしょうね。
わたしは恋愛経験が少なく、交際経験もないからと、
恋愛指向がそれなりに固まっていることを、認めたくなかったのかもしれません。
ただ、セクシュアリティは揺れ動くものだ、とよく言います。
今後変わっていく可能性はあります。
その変化は良いことでも悪いことでもない。そういうもの。
一喜一憂せず、自分を責めず、
ただ今のセクシュアリティを認めて生きようと思います。