cotton の 目

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当たり障りのない性格のわたしが、密かに持っている視点を綴ります。

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かつての夢①

 

わたしがかつて抱いていた夢と、その夢の動向について書いてみようと思います。
持病の影響で夢が左右されているので、健康状態とともに時系列で紹介します。

 

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かいているひと:cotton
マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

まず、わたしの経験している病は、
【脳動静脈奇形】摂食障害

順序としては、
中学2年生の頃に【脳動静脈奇形】が発覚。
そのあと3年くらい経ってから、今度は摂食障害に悩む。
という感じでした。

それぞれ詳しくは以前の記事で綴っているので、そちらもぜひご覧ください。

今回の記事では、【脳動静脈奇形】発覚前後に抱き始めた夢を中心に紹介します。

ちなみに小学生の頃に「夢は?」と聞かれたら困っていた記憶があります。
つまり特になりたいものはなかったんですね😅

困った挙げ句、「デザイナーになる」と授業で記した記憶はあります。
きっと違和感が強すぎて覚えているのでしょう。

 


 

さて、ここからが本題。
強く願った夢というのは、【脳動静脈奇形】が発覚したあとに生まれたものです。
それは、作業療法士

作業療法士」をご存じでしょうか?
簡単に言うと「リハビリの先生」のことで、主に手先の作業を支援するリハビリ専門職です。

もちろん、自身の病気が発覚してから、医療が身近になったことが関係しています。

幸いわたしが作業療法士さんにお世話になることはありませんでしたが、発作により起こりえる脳出血の場所や程度によっては 麻痺が生じることがあり、人ごとではなかったのです。

もともと「作業療法士」の存在は知りませんでしたが、確か早めの進路選択を考える際に母が見つけてきたものでした。

工作大好きで手作業に自信のあったわたしには、「これだ!」って思ったんです。
どちらかというと理系で、病気の経験もアピールになりそうだ、という淡い期待もありました。

そこから夢は「作業療法士だ」と信じて疑わない、というかこれしかないだろうと思い込んで目指すようになりました。

 


 

みなさんにとって夢はどんなものですか?

わたしにとっては、はじめは「やりたい!」っていう希望があるんですけど、だんだん視野が狭くなって脅迫的になってた気がするんですよ。
これは小さい頃からの癖です。

言葉がちょっと怖く聞こえるけど、これ以外ない!っていう決めてしまった道を諦めるのが怖くなる

もっと小さいことでいうと、日々の学校の宿題とか やり方の自分ルールを決めちゃうと、どんな無理なことでもそれから外れるのが怖くなるんですよねぇ。
これは母にいうと「なんで?」って全く同意してもらえない部分です。笑

ただ、「継続は美徳」という風潮があるなかで、苦しさを感じる人もいるんじゃないかと思っています。けど、どうですか?

一方で常に同じ熱量を持って夢に向かっている人もいるように感じて、すごく感心します。

 


 

でもね、夢を聞かれたときに「半ば脅迫的ですけど、作業療法士を目指しています」なんて言えない…

だから、大したことないですけど~という雰囲気で「作業療法士が夢」って言ってきて、それをすごく褒めてもらえたんです。

「もう夢が決まっててすごいね~」
「リハビリかぁえらいねー!」などなど。

わたしの病気を心配してくれている人ほど、この夢を評価してくれて、その期待に応えたい気持ちも増していきました。

精神的には、追い込み追い込まれていった…っていう方が近いかもしれませんが。

 


 

そんなこんなで、中学卒業までは「作業療法士」という固まりきった夢を、心に決めて過ごしました。

健全ではないかもしれないけど、「夢がある」ということが、自信にもなっていたように感じます。

その後のお話しは次回に続きます。
摂食障害に苦しむ時期になっていくのですが、書き終えてみると、この夢も摂食障害発症の一因になっているように見えますね。

今まではそんなに関連付けて考えたことがなかったので、新しい発見です。

さて、夢は叶うのか、どうなったのか!? お楽しみに。

続き

かつての夢②|諦めても良いよね - cotton の 目

かつての夢について、前回の続きを書いていきます。 今回は【摂食障害】前後の夢の動向です。このシリーズ完結します。

お化粧とプラの葛藤

 

お化粧のときめきに隠れる、プラスチックとの関係。
メイクが好きになっていくにつれて葛藤もだんだんと増えています。今回はその葛藤の全体像を書き出してみます。

 

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マイペース主義の慎重派。まとまらない視点・思考をブログで放出中。

 

マイクロプラスチックの影響で、日々海が汚染されています。
ビニール袋が有料化されたのも、プラスチックの影響が世界的に問題視されているからであり、できるだけ無駄に使わないよう意識し始めました。

そこで、わたしが抱えるお化粧にまつわる葛藤は、今のところ以下の4点。
他にももっと考えるべき点があるかもしれないので、教えてもらえると嬉しいです。
とりあえずこの記事では、2022年3月現在の考えを綴りますね。

細かく書くと長くなりそうなので、概要だけ。
それぞれの詳細は、また改めて記事にしたいと思います。

プラスチック包装

まずは一番初めに思いつく「包装」のあり方。
コスメ好きとしては、コスメを開封するときがものすごく幸せなひとときです。

ただ、開けて 試して 満足したあと、目の前のプラスチックの山にキュッと心が痛くなることがあります。
みなさんも経験ないでしょうか?

小さなアイテムに頑丈なプラ箱が使用され、本体容器ももちろんプラスチック。付属ブラシにまで律儀にフィルムが巻かれている。

気配りの効くブランドだなぁと捉えることもできるし、過剰包装だと思うときもあって、善し悪しは紙一重だと感じます。

もっと詳しく

化粧×プラ【包装】 - cotton の 目

以前綴った「お化粧とプラの葛藤」について、これから項目ごとに詳しく書いていきます。 今回は【プラスチック包装】について。あくまでもわたしの思っていることです。

プラスチック系配合成分

化粧品の中身にもプラスチックが含まれている場合があることを、わりと最近知りました。

成分に詳しいわけではないので、あれこれ説明ができないのですが、特に昔はプラスチック系の成分が多く使われていたのだとか。

最近では配合に関して制限ができるなど、改善はしているようです。
見つけたリンクを貼っておきますね。

洗い流しのスクラブ製品におけるマイクロプラスチックビーズの使用中止について(自主基準)

日本化粧品工業連合会「洗い流しのスクラブ製品におけるマイクロプラスチックビーズの使用中止に向けて、速やか に対応を図られること」(通知)

ラメは環境に悪影響を与える?自然に還る「エコ・フレンドリーラメ」とは

さまざまなコスメに使用されている、キラキラして可愛い「ラメ」。実は、そのほとんどがプラスチックでできており、自然分解されずに半永久的に残るって知ってた?

もっと詳しく

化粧×プラ【成分】 - cotton の 目

「お化粧とプラの葛藤」詳細版の第2弾。 今回は【プラスチック系配合成分】について。あくまでもわたしが思っていることについてです。

人工毛メイクブラシ

メイクにハマると使いたくなるメイクブラシ。
動物毛(天然毛)のものと人工毛(プラスチック製)のものがありますが、プチプラ派のわたしは人工毛ブラシを使っています。

動物毛と違ってお手入れが簡単にできて、低価格。動物毛に劣らない肌触りのものも増えてきて、良いことづくしなんです。
「プラスチックである」ということ以外は。(植物由来など配慮されているものはあります。)


じゃあ、コストに目をつぶれば動物毛の方が良いのか。もう少し詳しく調べたいと思っていますが、実は動物の命を脅かしているようです。

その問題を重視するならば、人工毛はよりよい選択肢とも言えます。
実際、人工毛ブラシにはヴィーガン対応(動物由来のもの不使用)であることを謳っているのを見たことがあります。

どちらを使うかは本当に悩ましい問題です。

モット詳しく

化粧×プラ【ブラシ】 - cotton の 目

「お化粧とプラの葛藤」詳細版の第3弾。 今回は【人工毛メイクブラシ】について。あくまでもわたしが思っていることについてです。

その他 環境問題

今まで見てきた葛藤に対して、課題をクリアしようと努力しているブランドもたくさんあります。

しかし、プチプラとは言い難い価格のものがほとんど。
何もかも安く買える状態が異常であるかもしれないことは重々承知であるものの、わたしにとっては手を伸ばすのがキツいです。

ただし、探せば比較的お手頃なものが見つかったりします。
地球に優しくありたい一心で購入したりもするのですが、これにも少し罪悪感があるのです。

なぜかというと、ネットで購入することになるから。
ドラッグストアで手に入るものはなかなかなく、配送してもらうことになります。

その配送にかかるCO2の排出は?プラスチックとCO2、どっちを取れば良いのか。
頭が痛いですね。
さらには、配送時にプラスチックを使用して梱包されていたりと、思い通りにはいかないものです。

というわけで、今はドラッグストアの中で比較的環境に配慮されているものを購入する、というのがわたしに合った方法なのではないかと思っています。

もっと詳しく

化粧×プラ【その他】 - cotton の 目

「お化粧とプラの葛藤」詳細版の第4弾。 今回は【その他の環境問題】について。あくまでもわたしが思っていることについてです。 主に配送について触れていきます。

 


 

いかがでしたか?
今回はわたしの葛藤をシェアしてみました。
きっとこれからも模索し続けるんだろうなぁと思います。

コスメ好きが高じると、使用感のこだわりも諦められなくて、変えられるものはごくわずかなんですけどね。
その点も葛藤をより複雑にしていると思っています。

でも、好きだからこそ真剣に考えなければいけないとも感じます。
みなさんのご意見も教えてください。

怒りと「常識」と人生

 

イライラとの付き合い方、どうしてますか?
わたしは特に仕事のことで、「なんでこうしてくれないの!」と心の中で怒ることが多くなりました。
そんなときに思い出す言葉があります。

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わたしが怒りを感じたとき、①まずひと通り人に聞いてもらいます。主に母。

すると聞き手から予想もしていなかった返事が返ってきたり、より視野の広い意見を聞いたりすることで怒りも収まってくるように感じています。

もちろん収まらない怒りもあります。
そんなときは、②怒りの発生源の人に対して、個人の意見を伝えます。これはわたしの場合は、メールなどのテキストが多いです。

もしかしたら、面と向かって言わないとズルいとか、そんな風に思う人もいるだろうとは思います。
ただ どうも頭の回転が遅くて、対面で話すとあれもこれも言い忘れた とか、ちゃんと意図のニュアンスを伝えられなかった とか、失敗することが多いのです。

テキストであれば送信前に確認ができるし、伝えずに一人悶々とするよりはずっと言いと思うので、わたしのできる最善策として選んでいるつもりです。

 


 

ここまでやるとスッと心が軽くなりますね。

落ち着くと思い出す言葉が、
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。
です。(下のリンク先とは若干訳が違いますが、わたしはこっちで覚えています。)

もっとアインシュタイン:100分 de 名著


アインシュタインの言葉らしいのですが、なんだかグサッとくるんですよね。
常識って平たい言葉で言うと「普通」。
怒ってるときって、「普通こうやるでしょ?!」とか言いがち、思いがちじゃないですか?

でも落ち着いて考えると、わたしの「普通」と相手の「普通」が同じなわけはない。
わたしが歪んだ「普通」を抱いているのかもしれないし、相手もまたそうで、誤解のないようにお互いに丁寧に歩み寄っていく必要があるんだと思います。

いわゆる「多様性」なんですが、大切にしたいと思いつつ、凝り固まってしまった自分の「普通」がなかなか崩せないことに苦悩します。

そもそも「普通」って何だ?という話にもなるけど、とにかくわからないから置いときますね。笑

 


 

わたしの理想は、常に自分と他者は違うと意識すること。
考え方も生き方も違うのが当たり前だと、認めること。受入れること。

今はその域には達せなくて、とりあえず怒っちゃう。
で、怒りが収まってから、まぁ意見違うの伝わったから良いか。で終わる。

そんなことを繰り返しています。

 


 

ここでちょっと話が変わりますが、わたしの過去を振り返ってみます。
実はちょっと前まであんまり怒りを感じなかったと思うんです。

最近は母に「よく怒ってるね」と言われるくらい頻繁に怒りがわくのですが、前は怒りって何?みたいな感じでした。

怒りに限らず、自分の感情を捉えるのがすっごく苦手でした。
今楽しいのか嬉しいのか、悲しいのか。
どれ?と聞かれてもどれだろうね、という感じで。

でも、決して穏やかだったわけではなく必死に自分を押し殺していたんだと感じます。
他の誰かが傷つかないように。

聞こえは良いけど、他の人のためにそうしたいのではなくて、自分を評価して欲しくて、いわゆる「良い子」を演じることが全てだったように感じています。
実は自分をも意義を感じられない生き方だったんですけど。

だから、わたしにとって「怒り」を感じられることは、「自分を生きていること」です。
そう捉えると、「怒れる」って幸せだなーと思います。

 


 

感情については、「泣く」について記事を書いたことがあります。
こちらもぜひ読んでみてください。

涙についての記事

「泣く」とはどういうことなのか - cotton の 目

突然ですが、最近涙を流したことはありますか? わたしはこの間、久しぶりに泣きました。 そのことで思い出したことがあったので、書き留めておこうと思います。

「オープン」で病気を語る

 

前回、オープン/クローズについてわたしなりの思いを書き綴りました。
あの言葉に嘘はないけれど、やはりオープンの辛さもある…というお話しをしたいと思います。

 

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まずは前回の記事を読んで頂きたいので、まだ読んでいない方はこちらからぜひ。↓

オープン/クローズについて

オープン/クローズ の選択 - cotton の 目

病気などについて、「オープンにする」「クローズにする」という言い方があります。 聞いたことはあるでしょうか。 どういうことなのか、また、わたしがどう捉えているのかをまとめてみました。

まとめると、「わたしは基本、言いたくててんかんをオープンにして生きているけど、どっちでもないときもある」という感じ。

言いたくて。これを前の記事では、ポジティブなイメージで使っていました。
言っておけば万一の時に助けを求められるから、言う必要があると思っている。

ただし、今までの経験を振り返ってみると、他者に伝えたところ悲惨な結果になったこともありました。

今回はこの、持病の「オープン」によるネガティブな側面を書いていこうと思います。

 


 

まずわたしが「オープン」にする3つの状況をお話しします。

  1. 自分自身の状態も分かっていないままに他者に伝える場面
    これは、この病気とはどんなものか、自分の症状がどんなものか、とりあえず自分の全ての知識をそのまま他者に伝えたものです。
    具体的には、「生まれつきらしいんだけど、脳のココらへんにある動脈と静脈が絡まり合っててね、血液が上手くいかなくなって発作が出てるみたいなの。」という具合。

  2. てんかんによる苦しさを、ふと打ち明ける場面
    苦しみの開示というか、病気の愚痴ですね。
    わたしの場合、病気があることは伝えるけれども、具体的な困難や苦しさを他者に伝えることはほとんどありません。
    ですが、自分でいっぱいいっぱいになって、言わなければ気が済まない、というような状況になることがまれにあります。

  3. 建設的に病気について説明する場面
    そして、就活時に延々とやったのがこちら。
    簡潔に、過不足なく持病を伝える。感情は一切入れずに事実関係を伝える。
    てんかんという持病があります。一般的には、発作が起こって倒れたり意識を失ったりすることのある病気です。わたしの場合は薬の服用で発作がある程度コントロールできていて、発作は一年に一度あるかないか、傍目ではわからない程度の軽いものです。」

こんな風に、「オープン」にする場面が分けられるかな、と思います。

 


 

現在は主に3.の説明が多いですが、1.2.については痛い記憶があるので綴っていきますね。

痛い記憶&今の認識

  1. 自分自身の状態も分かっていないままに他者に伝える(脳動静脈奇形)

    病気発覚直後にかなり頻繁にやっていましたが、自分でも咀嚼しきれていないものを他者にぶつける。今考えると、「暴力的」だったんじゃないかと少し反省してしまう出来事です。
    「暴力的」というのは、他者にしてみれば 理解不可能な言葉を突然言われるから防御もできず、やり返すこともなだめることもできない、苦痛だっただろうということです。

    とはいえ、わたしが病気について咀嚼して腹落ちするには時間が必要で、当時できることはそれしかなかったのだから仕方がないとも思います。

    あと、家族など 全てを伝える必要があることもありますから、これ自体が悪いわけではありません。

    わたしの場合は、心配してくれる人にちゃんと伝えなければ!というある種の正義感が空回りしてしまっていたように感じます。
    結果、周囲の人はあまりわたしの病気に触れないようにしよう、となったような。

    じゃあどうしたら良かったのか。大丈夫だよと言っていれば良かったのか、薬で調整するみたい、と未来のことを伝えれば良かったのか、答えはわかりません。


  2. てんかんによる苦しさを、ふと打ち明ける

    こちらは他者との関係にヒビが入ってしまったのではないかと気にかかっている行為。最近も やってしまいます。

    特に、「言いたくて」ではあるけれど、ポジティブではなくネガティブな意味を持つ方だと思っているのがこれ。

    病気は何でもストレスの原因になり得ると思います。
    自分ではどうしようもできないことがあって、上手く付き合おうと思ってもやっぱり我慢できないこともある。

    もう辛い!ってなったときに、心許せる友人にあふれるままに伝えてしまったりするんですよね。
    全然言う気がなかったのになんか言っちゃってる、という状況もあったりして、コントロールはできない。

    相手も相手で構えてないから、話は聞いてくれるけれども困ってるんだなって感じたり。
    慌てて「そんなに深刻じゃないんだけどね」って自分でフォローする、みたいなひねくれた何が何だかわからない状況も何度も経験しました。

    わかってもらえますかね…

    愚痴を言うのって結構大変で、前提条件を共有していないと愚痴を理解してもらえないからこの病気とはなんぞや、から説明しないといけなくて、ここで言う1.も入ってきたりします。

    だから余計に相手にはストレスになっているんじゃないかな、と気にかかります。
    実際愚痴を聞いてくれた人とは、今は疎遠になっています。
    学生時代のことだから、この愚痴だけが原因ではないことは理解しているけれど、一因ではあるのではないかと。

    そうなると、自助グループの意義がここにあるんだろうなと思います。
    経験を共有しているから、一から説明する必要がなくて、感情だけをちゃんと愚痴れるというか。

 


 

ここまで、だらだらと病気を語る愚痴を書いてきました。
言いたかったことは、病気って何でも重いし、その重さを他者にわかってもらうのは難しいよね、ということ。

脳動静脈奇形(てんかん)に限って書いてみましたが、摂食障害も同じ、あらゆる病気で悩むことではないでしょうか。

まぁわかってもらうっていうスタンスに無理があって、とりあえず話聞いて!って感じではあるのですが、相手も同じように考えてくれるかは難しいところがあります。

しかし言っておきたいのは、「愚痴を言わない」のが良いことではないということ。
愚痴ったから関係が…と言ってしまったので、ネガティブイメージになってしまったかもしれませんが、安全な環境で愚痴るのはわたしにとって大きなプラスです。

母にはほとんどのことを愚痴ったり、疑問に思うことを聞いてもらったりして、すっきりした経験が数多くあります。
もっと依存先増やした方が良いな、とは思いますが…

今、対話企画を募集していて、もやもやを共有できればいいなと思っているのでよかったら活用してください。
わたしなりに安全な環境をつくってみたつもりです。

ということで、今回はこのへんで。
病気について語りまくっているブログですが、今後もリアルには話しにくい話題を綴っていきます。

コスメ分類多すぎ問題

 

お化粧のアイテムの話。買い揃えるとかなりお金がかかりますよね。
なんでいっぱいあるの?という素朴な疑問。

 

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コスメって、めちゃくちゃアイテム数がありますよね。
思いつくものでいうと、

 ■化粧水     ■乳液
 ■フェイスクリーム
 ■日焼け止め   ■化粧下地
 ■ファンデーション■お粉
 ■シェーディング ■ハイライト
 ■アイブロウ(パウダー/ペンシル/マスカラ)
 ■アイシャドウ■マスカラ(下地/マスカラ)
 ■アイライナー(リキッド/ペンシル)
 ■チーク   ■リップ(スティック/グロス

多い…多すぎる…って思いません?

このブログでは「コスメ好き」と自称していますが、毎日全てのアイテムを使うことはありません。
特に、ファンデーションと眉マスカラは使ったことがないし、チークもほぼ付けない😂
一方アイシャドウベースなど、上記のものにプラスして使うものもあります。

でも、それなりに美容を楽しんでいます。
わたしは主にYouTubeでメイクの勉強をしていますが(勉強といってもメイクの工程を見るだけ)、そのなかでルールはないんだなぁと学びました。

 


 

結局のところ、資本主義に取り込まれてるだけでは?🤔
アイテム数が増えるほど、わたしたち消費者が使う金額は大きくなるわけで、商品を販売する側には利益があるんですよね。

もちろん多くのアイテムを使った方が仕上がりがきれいになるとか、部位によって特化したアイテムだと使いやすいとか、そういうことはあるにはあるんだと思いますが。

実際、「アイブロウペンシルとペンシルアイライナーって何が違うの?」と思って、それぞれ代用したことがあります。
アイブロウペンシルでアイラインを引いたときは、にじみやすかったり、くっきりしないのが気になりました。
ペンシルアイライナーで眉を描いたときは、変に濃くなってイカつくなりました。笑

だから別になっている意味はわかるんですが、コストを抑えたいという希望を持つ者としてはもやもやしてしまう現状です。

 


 

別の方向から見ると、「流行」による新アイテムの登場に驚きます。
眉マスカラが根付いてきたり、涙袋メイクに特化したグリッターや影用ライナーが浸透してきていることについてです。

アイテムができるまでは、マスカラを眉にも代用したり、アイシャドウを薄ーく入れて影っぽくしたり、自分の好みによって各々工夫していたはずです。

それがいざ専用アイテムが出現すると、あっという間にそれを使用したメイクが常識になっていくという、「流行」の「一般化」といえるような波が恐ろしく興味深いです。

コスメの新商品が次々に出てくるスピードの速さや、それに伴う廃番品の多さにもびっくりしますよね。
それについてファンが一喜一憂したりもするし、そのスピード感があるからこそ惹かれてしまう、虜になってしまう、ということもすごくわかります。

でもやっぱり「泳がされてる」感を感じてしまって、新商品に惹かれたときに「ほんとに使う?手持ちのものでも代用できそうじゃない?」と自制する毎日です。

 


 

今までの話とは反対に、オールインワンや3wayと謳うものなんかもあります。
ただ、それは逆にまとめすぎてそれぞれ中途半端な感じがします。(開発者の方には申し訳ないですが…)

なので、わたしが今落ち着いているのは、「好き」に焦点を当てること。
特にアイメイクが好きなので、目元のアイテムは比較的網羅しています。
一方ベースメイクにこだわりはないので、アイテム少なめ。
それでも「好き」なことができているので満足感があります。

「アイメイクをしっかりしても、ベースメイクが弱いと映えない」とか「アンバランスになる」とか、そんな情報もありますね。
わたしとしてはあくまでも自己満足でメイクをしているので、どう見られるかは二の次です。

美容についての情報はリサーチするので、いろんな意見を見聞きしますが、そういう見方もあるんだな、というだけに収めるように心がけています。

 


 

今回はコスメの種類に注目して、思っていることを綴ってみました。
ともかく美容関係でもリテラシー大事だなーと実感しているところです。

今回の話でも若干関係してきますが、わたしは最近SDGsに関心を持っています。
美容業界にも急激に広まってきているように感じているので、また詳しく記事にしたいと思っていますので、お楽しみに!

【ブログ1周年】対話企画 募集します!! ※募集終了

 

このブログ、おかげさまで開設してから1年が経ちました。
そこで、1周年企画として読者の方との対話の機会を設けようと思っています。
こちらの企画は締め切りました。
ご興味ある方はお気軽にご参加ください(^^)

 

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まずどうして「対話」なのかと言いますと、わたし自身が1番成長を感じている経験だからです。

お互いに向き合って、自分の思いや考えを伝えてみる。

生活の中でも親や上司と話し合ってきて、こんな風に考えるんだなとか、わたしの思っていることって伝わっていなかったんだな、と気付くことが多々ありました。

このブログでは自分の思いは綴ってきましたが、どんな風に受け取られているんだろうということにすごく興味があります。

だからぜひ、1周年という機会に便乗して、読者の方々の声を聞いてみたいと思っているのです。

 


 

企画としては、
読者の方とメールのやりとりをする、というシンプルなものです。

どうしてブログを始めたの?
あの記事についてもっと聞いてみたい!
などなど、素朴な質問からご意見まで大歓迎!

お互いに10通ずつくらいを目安に、気軽にお話ししてみませんか。
もちろん無料で、有料化なども考えていないのでご安心ください。

また 相談会ではないので、「正解」を求めている方にはあまりお話しできることがないかもしれませんが、一個人のわたしの意見をお伝えしたいと思っています。

やりとりの終了後は、まとめてブログ記事し、ほかの読者の方にもシェアするつもりですので、この点はご了承の上ご応募くださいね。

 ◆ 対話企画概要 ◆

  • cottonとメールのやりとりをする
  • 内容は素朴な疑問からご意見まで なんでも◎
  • 目安はお互いに10通ずつ(短くてもOK)
  • お伝えできるのは個人の意見・経験談
  • やりとりは後日ブログ記事に
  • 今のところ締め切りなし(2022年末?)


詳細は下の応募フォームに記載がありますので、覗いてみてください。

 

フォームは公開停止しました。


締め切りは特に決めていません。あまりにも人気にならない限りは2022年いっぱいやってみようかと思っています。

ご応募お待ちしております😊

文化に逆らう

 

今年も巡ってきたバレンタインの季節。
ワクワクする人もいれば、憂鬱になる人も。
後者のわたしが、バレンタインへの思いを書き殴ります。

 

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かいているひと:cotton
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タイトル通り、バレンタインは完全に文化となっていますよね。
CMからスーパーの棚など、あらゆるところにバレンタイン的なものがあふれて、意識せざるを得ない雰囲気になります。

その雰囲気、好きですか?

わたしはすごく憂鬱になります。なぜだろう。
毎年毎年巡ってきて、悶々としながらなんとか波にのってきました。
楽しくても楽しくなくてもやらなきゃいけない感。
これが文化なんだろうと、今更ながら思います。

 


 

さて、今までわたしがどうバレンタインを乗り切ってきたかというと、なんかはやるけど極力少額

簡単に言ってしまうと、わたしからするとバレンタインという行事は できれば避けたい嫌なもの。
そう感じるものにお金なんて一切出したくないけれど、みんなが何かを用意するという暗黙の了解に逆らうことはできなくて、一応は形になるものをアイデアで用意していました。

例えば、やっすい市販チョコをかわいいラッピング袋に詰め込んだり、スティックコーヒーを数本ずつ紙袋に入れてシールを貼ったり。

余談ですが、学生の頃は、ホットケーキミックスで作るドーナッツなんかを用意したこともあったけど、それはかなりのトラウマです。

というのも、学生時代はクラスのほとんどがなにかしら手作りお菓子を持ってくる、っていう感じだったんです。
みなさんもそういう経験ありませんか?
タッパーにお菓子を詰めて持ってくる子が大勢いて、その場で大量のお菓子を食べなきゃいけない地獄…

わたしがチョコ苦手&そこまで甘いものが好きな方ではないというのも大きいですが、例え甘党でもキツいと思います。
(失敗作と思われる激甘ケーキもあったりするしね。(@@;))

そのトラウマから、市販活用派になったわけです。

 


 

実は今年も、バイト先へのバレンタイン、用意しました。

小さい会社なので学生時代より必要な数が減って、金銭的にそこは助かるのですが、かといって考えたり用意したりする労力が減るわけじゃないんですよね。

準備しながら、なんでこんなことしなきゃいけないんだろう…と色々と考えてしまいました。

そこで整理された思いがいくつかあるので紹介します。

 


 

どうしてこんなにバレンタインが嫌いなのか。

  1. 欲しくもないお菓子をやりとりする必要性がわからない
    文化だからと言ってしまえばそれまでなのですが、少なくともわたしはあげたいとは思ってないし、もしかしたら別にいらない、欲しくないって人もいるかもしれない。無駄になるかもしれない。

  2. バレンタインの本来の意味がなくなっている
    本来の意味ってよくわからないけど、わたしの認識では恋愛感情を伝える手段だったはず。
    なのに今ではクラスや部活、職場など、自分が属するコミュニティの人に意味もなく渡すものになっていません?
    これがなんだか納得がいかない…

  3. 暗黙の性役割があり、それに従ってしまう気持ち悪さ
    あとこれは、わたしにとってかなり大きい。
    基本バレンタインは女性から男性に渡すものとなっています。わたし的には実際は女性から女性+男性(女性からコミュニティ全員)になっている気がするのですが、ともかく女性にのみバレンタインに何かを贈るという義務があるように感じるんです。
    もちろん義務じゃないのはわかっているし、男性でも何か贈る人がいて良いと思うのだけど。
    その性差と、性役割を内面化してしまっている自分に強い嫌悪感があります。

 


 

そして、どうして嫌なのに波にのってしまうのか。

  1. 変な人だと思われたくない
    やるのが当たり前と思われていることを、しなければ変な人だと思われてしまう。と思っちゃう。

  2. 丸く収まった方がいい、面倒
    やらない理由を言わないといけない気がする。
    それもそれで面倒なので、なんとか波にのって丸く収まればいいと思う。

 


 

こんな感じでした。
ここで思うのは、波にのる理由薄くない?ってこと。

思考停止して流されてただけなんだな、と改めて思ったんです。

変な人だと思われたくない、ってのは、そこまで強くないです。
正直もう既に、ちょっとずれた人とは思われていると自覚しているし、学生じゃないので周りも別にバレンタインをやらないだけでいじってくる人もいないでしょう。

さらに、丸く収まって欲しいという感情も、ただ面倒くさがっているだけ。
やめて理由を聞かれれば答えればいいし、答えなくても、バレンタインはしない人、と認識されればそれだけで終わる気もします。

ということで、バレンタインに縛られる理由がなくなりました。

今年は用意してしまったので贈りますが、次回からやめようと決めました。
これだけのことなんだけど、すごく解放された気分です。

 


 

決めてしまえば、どうしてこんなことに縛られていたんだろうと不思議に思えてしまいますね。

きっとバレンタインに、感謝の思いを伝えるとか、特別な意味を持って大切にしている方もいると思います。

それは決して否定しないし、むしろ素敵なことだなと思います。

わたしはバレンタインという行事としてやらされるのではなく、その都度自分のタイミングで、自分の頭で考えてプレゼントや感謝を伝えようと思います。